
良い忠実なしもべ
(マタイの福音書 24:37~51)
神は
天地の主でおられる
その方が
天と地を創造し、
そこに働き手を置かれたが、(創2:1~17)
天には天使を置き、(エゼキエル28:14~15)
地にはその方の管理者を置かれた(マタイ20:1~6)
主イエスは天に上ったように
必ず再び来られるが、(ヨハネ14:1~3)
そのときまで主の働きを預かった者がいる
天では天使長が預かり、
地ではその方の管理者が預かった
油を注がれた者は管理者なので、
主人の代わりに職務を預かったのである
それゆえ、
主人が席を外したときに空白が生じないように
その家と財産をしっかりと保たなければならない
油を注がれた天の天使長が堕落すると、
サタンとなるし、(Ⅱペテロ2:4)
油を注がれた管理者が堕落すると、
偽善者となって追い出される(Ⅱペテロ2:5~8)
◎神は生きておられる
その方の働きを預かったしもべは
主人としての意識をもって、忠実でなければならない
◎神の御心に逆らった者は
必ず刑罰の日を迎える
その日に称賛を受けるしもべとなろう
◎主人としての意識をもっている者は忠実であり、
神を喜ばせる
神はその報いを忘れない
※聖徒よ!
私たちは忠実な管理者となって、
神の働きを自分の働きと考えよう
良い忠実なしもべ (マタイの福音書 24:37~51)
神は従う者を選ばれる
神は天地の主でおられます。神は天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、見えないもの、すべてを創造されました。その中で使い道もなく造られたものはひとつもありません。つまらなく見える野草も人間に供給する酸素を作ることに用いられていますし、その他の多くのものが神の御子がこの世におられる間に貴く用いられました。すべての被造物が神が定められた目的に従って用いられているのです。
人類も神に用いられるために造られた存在です。しかし、神が人類全体を用いられるわけではありません。ノアの時代、地には人類が満ちていましたが、神はノアの家族8人だけを用いて、残りはすべて洪水によって滅ぼされました。ノアが山頂で長さが140メートルにもなる巨大な船を造っていたときに、人々は彼をあざ笑いました。しかし、ノアの家族は数十年間、変わることなく木の破片を接ぎ合わせながら箱舟を造りました。箱舟が完成したときに、彼らは船の中に入って行き、その中で1年くらい過ごしました。彼らは外で何が起こっているのかをまったく知ることができませんでした。彼らが箱舟から出て来たときに、彼らをあざ笑っていた者は跡形もなく消えていました。ノアの家族が箱舟を通して救いを受けたように、今日、私たちはイエス・キリストの名によってバプテスマを受け、それによって救いを受けました(Ⅰペテロ3:21)。この世の人々は私たちがバプテスマを受けるのを見ながらあざ笑うかもしれませんが、水から出て来たのちの私たちは水の中に入って行く前の私たちとはまったく異なる存在となりました。
神は私たちに信仰を与えて、義の冠を受けさせました。信仰によって苦難や苦しみを受ける者には栄光の冠が与えられると約束されました。ヨハネの黙示録3章11節は「わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。」(黙3:11)といいました。私たちは主が来られるときまで、私たちに与えられた働きをしなければなりません。それは主がこの地にいた33年間にはじめられた働きです。主はその働きを教会に預けて天に行かれました。主が礼拝をささげられたために、私たちは礼拝をささげなければなりませんし、主が伝道されたために、私たちは伝道しなければなりませんし、主が教えられたために、私たちは教えなければなりません。
主はノアの時のようにこの世の人々がまったく期待しないときに再び来られます。私たちは望みをもって、その時を待ち望みながら、忍耐によって信仰を守らなければなりません。これが教会の信仰です。主を待ち望まないのであれば、それは宗教生活に過ぎません。私たちは花嫁が花婿を待つように、どのような誘惑や困難があったとしても克服して待つのです。もちろん待っている間にじっとしていないで、主から命じられた働きを続けなければなりません。そのようにするのであれば、主が来て、私たちに報いを与えてくださいます。すでにバプテスマを受けて聖霊を迎え入れた私たちはこれ以上、裁きと地獄を恐れる必要がありません。これからはさらに大きな栄光と報いを慕い求めなければなりません。
神は私たちを管理者として召された
天には雲のように多くの天使がいます。その中には特別な指導力をもって職分を遂行する天使長がいます。そうかと思えば、主が御座に上られるときまで、エホバという名によって天と地のすべてのものを預かって管理する天使もいました。以前のイスラエルの神殿を見ても、その中で働いていた人々の職分はさまざまでした。神殿の庭で働いていた者がいましたし、聖所で働いていた祭司がいましたし、至聖所に入って働いていた大祭司がいました。
大きな家には多くのしもべがいますが、その中には主人の代わりにしもべを管理する管理者がいます。管理者は主人が他国に行っていたとしても主人がしていた働きを続け、それによって空白が生じないようにします。管理者には主人意識があります。どんなに大きな職分を預かったとしても管理者として主人意識をもたない者は情熱や責任をもって働きません。私たちに職分を預けた主が私たちに期待されるのは管理者の姿です。私たちが立派な管理者であるのならば、主が天に上って不在でおられる間に空白が生じないようにします。時に従って霊魂に食物を分け与えながら面倒を見ます。そのようにするのであれば、主が再び来て、必ず報いを与えられます。
最近、世界的な論争となっている囲碁王イ・セドルと人工知能アルファ碁の対決は人工知能の水準がどこまで来ているのかを見せるものでしたし、本格的な人工知能時代の幕開けを告げるイベントでした。人工知能の水準が今よりも高くなって人間を超越する日が来るのであれば、これまでも急速に発展してきた科学技術はこれから人間が想像することができないほどの速度で発展するようになります。ある人はそのような科学技術の発展が今まで存在してきた人類の存在の形態までも変え、2040年には創造のときから受け継がれてきた遺伝子をもった人間は完全に消えるであろうといいます。
人工知能への依存度が高まるほど、人々の心霊は渇いていき、信仰生活をするのはとてもむずかしくなります。そのようになるほど、私たちは聖霊に満たされて神の霊感と指示を受けなければなりません。ソドムとゴモラが滅んだときに、神の霊感を受けて神から指示を受けたアブラハムはそれを予め知りました。神は管理者のような聖徒には何も隠さずに、すべてを公開されるのです。
主が再び来られるのであれば、自分の地位を守った者は取られ、サタンのように自分の地位を離れた者は残されるようになります(マタイ24:40)。ノアの時にも神から預かった働きを捨てた者はアダムの子孫であったにもかかわらず、ネフィリムとともに滅びました。私たちは主人意識をもった、主の働き手とならなければなりません。神から預かった小さな働きであっても主人意識をもって働くのであれば、神から信頼を得ますし、それによってさらに大きな働きを担うようになります。ナタナエルの潔白な心までも見抜いて称賛した主は責任感ある聖徒の姿を忘れないで、すべて覚えられます。それゆえ、誰も見ていなかったとしても私たちは預かった働きを忠実にしなければなりません。
教会の主人となろう
私たちが天に行って栄光を受けるためにはこの地にいる間、主の管理者とならなければなりません。それぞれ自分が預かった職分を忠実に担いながらも、教会全体を考えることができる視野をもたなければなりません。管理者のように教会に対する愛と主人意識をもたなければなりません。主人意識をもって教会生活をする者と、そうではない者にははっきりとした差があります。たとえば、通路に危険なものが落ちているときに、主人意識がない者はそれを避けて通りますが、主人意識をもった者は他の人がけがをしないようにそれを片づけます。
主人は自分だけを考えません。働き手の食べ物に気を配り、施設を管理し、責任を負うのが主人です。それで、主人の心はいつも休まることがありません。多く祈ったからといって、主人となるわけではありません。行動によって実践しなければなりません。ノアの時のようにこの世の最後が迫ってきていますが、私たちが与えられた責任から目を背けるのであれば、主は大きく失望されます。
私たちは自分が信者になったという事実に満足しないで、主の働き手とならなければなりません。教会は主の働きをするところです。他の人がわかってくれなかったとしても、天に報いがあるということを知って働かなければなりません。キリストが栄光を受けられたように私たちも栄光を受けるためにはキリストとともに苦難を受けなければなりません(ローマ8:17)。まことの望みがあるのならば、苦難を受け入れて、休まずに働くのです。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室