
聖霊の御言葉を聞く教会
(ヨハネの黙示録2:1~7)
神は
霊でおられる
その方は
父と子と聖霊、三位が一体でおられる(マタイ28:19)
父は自分の御心を義と定められたし、(ヨハネ6:38~39)
子はその御心を御言葉として現されたし、(ヨハネ1:14)
聖霊はその御言葉を真理として教会に伝えられる(黙示録2:7)
それゆえ、
イエスの教会は聖霊が語られる御言葉を聞いてこそ生きる
真理の御言葉を耳で聞くというのは自分の霊魂に
聖霊を迎え入れるということである(使徒10:44)
聖霊は父から出て来る方でおられる(ヨハネ15:26)
それゆえ、
神の御言葉を受け入れる者は(ヨハネ6:63~68)
聖霊に満たされるが、
そうでなければ、
聖霊の御言葉ではない、人の言葉だけを聞くようになる
聖霊の御言葉を聞かないのであれば、霊的になることができないし、(Ⅰコリント12:3)
聖霊によってはじまった初めの愛から離れてしまう
初めの愛がある教会には燭台があるが、
これを神殿という(Ⅰコリント3:16~17)
○神殿では常に燭台に火がついていなければならない
これは祭司がする働きである
祭司は聖なる聖徒である
○聖霊に満たされるために祈りだけをするのではなく、
神の御言葉を真理として信じて迎え入れなさい
真理によってだけ霊感を豊かに受ける
○聖霊が教会に語られる御言葉を聞くときに、
聖霊に満たされた教会となる
聖霊の御言葉を聞いて従わないのであれば、それは堕落である
※私たちの教会は真理を知る教会である
神の意図を知って信じる教会である
聖霊の御言葉によってこの世に勝利する教会である
【牧師コーナー(松竹岩)】 2017. 2. 19.(主日) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
立派な指導者ひとりを育て上げるためには少なくない歳月や汗、努力、投資が必要である。私は1964年から毎年、指導者を得るために教育に関心をもって最善を尽くしてきた。私自身は学校に通わなかったが、後輩を学校に通わせた。私自身は貧しく暮らしながらも、続けて学校に登録させた。しかし、自分が射た矢に当たって死にかけたことが一度や二度ではなかった。現在もそうである。期待していた指導者は出て来ないために失望している。
大学院大学を設立するためには相当な投資がなければならない。しかし、それをまことに感謝する者は多くないし、むしろまったくいないほどである。生活させるために教えてきたのではなく、神のための預言者のような働き手が出て来ることを願って教えてきたが、ひどく失望している。主人意識はなく、しもべの意識をもって卒業するようである。果たして彼らが指導者であろうか。
「神の国は種を蒔くようなものである。」といったように、種が落ちるのであれば、そこから芽を出して、根を下ろさなければならない。しかし、そのような者は多くない。「恵みによって学んだために、その恵みに報いよう。」といって命を差し出す者がいない。葉が落ちて枝に何もない無用な者もいる。霜が降りて、冬の強風が吹いたとしても耐えながら春を待ち望む勇士はいない。望みがない霊魂のようであり、ただ哀れである。
奨学金はお金が多く、扱いに困って捨てるものではなく、夢を蒔くものである。しかし、それを認める者がいない。今年も多くの働き手の候補者が学校を卒業するが、その中で果たして「視無言」のようなバカがいるであろうか?「金箕東」のような狂った者がいるであろうか? ただ残念である。
私たちの教会から国内外の多くの指導者が出て来ることを願ってリーダーセンターも建てた。これから数百組の指導者がリーダーセンターで集中的に訓練を受けるであろうという期待からであった。学校で学ぼうとする者は主の御前で謙遜に自分を下ろさなければならない。
まことに指導者になろうとするのであれば、機会があるときに渾身の力を振り絞って自分を指導者に作らなければならない。誰かが指導者に作ってくれるわけではない。神と私がともに作って満たした資格である。もし力を尽くして命を尽くす熱心さが私になかったのであれば、神も私の手をつかんでくださらなかったであろう。それならば、今日、視無言は存在しなかったであろう。
完全に無から有をなしたと言わざるを得ない。その代わりに私の肉体は壊れたが、感謝する。どうか指導者が出て来ることを願う。命を差し出す狂った者が出て来ることを願う。この霊感が終わらないように。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室