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神のぶどうの木
(ヨハネの福音書15:1~15)
神は
ぶどうの木の農夫でおられる
その方が
ぶどうの木を育てられるので、
ぶどうの木は多くの実を結ぶ
イエス・キリストはぶどうの木でおられる(ヨハネ15:1)
神はただぶどうの木である御子の働きのために
力を尽くされるが、それがその方の愛である(ヨハネ15:9)
父なる神は御子を愛して
御子に戒めを与えられたので、(ヨハネ15:10)
神の愛は戒めである(ヨハネ13:34)
私たちがその方の愛を受けるのは従順であるが、
神の愛を受けないのは不従順である
ぶどうの木の枝がその方の愛を受けないのであれば、
自ら枯れる
その方の愛は永遠な戒めである(ヨハネ15:17)
神の戒めを守らない者は自ら枯れる
そのようになると、結局、取り除かれて投げ捨てられる
しかし、愛の戒めを守る者は滅びない
イエスの教会は霊的なぶどうの木である(ヨハネ15:2)
教会には当然、愛の実が満ちあふれる
○自分がその方のぶどうの木の枝であろうか
その方の御言葉が自分の中にとどまっているであろうか
その方の愛が自分の心霊に満ちているであろうか
○その方の愛を受ける者が祈りを届かせる
その方の愛を受けない者はすでに死んだ者であり、
結局は投げ捨てられる
○愛がない教会という言葉とともに
愛を受けることができないのであれば、その霊魂は滅びる
愛は信仰の上にあり、望みの上にある
※教会は
神とその御子とともにするし、
聖霊によって霊的に愛さなければならない
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