
イエスを信じなさい
(ルカの福音書23:26~43)
神は
公義でおられる
その方が
御子をこの世に遣わされたのはこの世を公義によって治めるため
であった(ヨハネ3:16~18)
人類は初めから不義なる者となって死ぬようになったが、(創2:17)
神は人類を憐れんで信仰を与え、
その信仰を義とされた(創15:6)
カルバリの丘に十字架が3つ立っていたが、
呪いの木であった
イエスがつけられた十字架は罪と呪いの法であった
イエスが律法を担われた
イエス・キリストによって呪いの木が覆われた
イエスがそこで死なれることによって人類の罪と呪いが
ともに死んだのである
このとき、公義の裁きがなされた
ひとりは自分の罪によって永遠に滅んだ
もうひとりは自分の罪と刑罰を離れ、
イエスを頼ることによってパラダイスに招かれた
それゆえ、
イエスを信じて頼ることによって霊魂が生きて永遠のいのちに至るし、
イエスを信じないことによって悪霊となり、地獄に行く(黙22:11)
○ 信仰によって義とされた者は救いを得るし、
不信仰によって義がない者はその霊魂が滅びる
○ 天使であっても
神の子となることができないように、
信じない霊魂は永遠に立ち返ることができない悪霊である
○ 主イエスを愛しなさい、霊魂を生かしなさい
イエスを愛さなければ、霊魂が滅ぶ
悪霊はその霊魂が滅んだ者である
※ イエスを信じて霊魂を生かし、
神の子となって第一の復活を得よう
不信者の霊魂は悪霊である
【牧師コーナー(松竹岩)】 2018. 9. 2 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
どうして神は右にいる者と左にいる者を区別し、これを羊とやぎとして区別されたのであろうか? これは獣の特徴をもって語られたのである。羊は暑い夏にも互いに体を寄せ合って集まるという習性をもっている。また、やぎはそれとは反対に、集まっている群れの中に入って行って角でその群れを散らばらせるという習性をもっている。それゆえ、火事になれば、羊はひとつの場所に集まっていたのちにすべて焼死することもある。それで、羊の群れの中にやぎを入れることがある。牧畜業を営む者はこのような羊とやぎの習性を利用して利益を得る。
しかし、主はひとつの場所に集まっている獣を羊といい、それを散らばらせて分裂させる獣をやぎといわれた。そして、最後の裁きの日に羊とやぎを区別し、右にいる者と左にいる者にそれぞれ報いを与えるといわれた。
教会は散らばっている羊を呼び集めるという意味をもつ。大きな群れであってもひとつの体である。その中心には牧者であり、かしらであるイエスがおられるし、その方が体である教会を治められる。それゆえ、イエスはペテロに「あなたは私を愛しますか? それならば、私の小羊を飼いなさい。牧しなさい。」といって、聖霊を注がれた。聖霊は主の体であるその群れのために監督を立てて、その群れを牧させる(使20:28)。
私たちの教会では多くの教会員が毎週、集まって自分の霊魂を愛する。聖楽教会の在籍者数が18万人であるというのは開拓したときから聖楽教会に来て信じてバプテスマを受けた者の数をいう。その中にはすでにこの世を離れた者も多いし、バプテスマを受けたのちに教会に登録しないで離れた者も多い。また、開拓するといって数十人、あるいは数百人を連れて出て行った者も多い。それでも教会が18万人に一連の番号をつけて彼らを忘れないようにするのはいつかは再び帰って来る者もいるかもしれないと考えるためであり、また、彼らを祈りの中にともに置き、彼らを覚えておこうとするためである。
実際に教会に残って主の体の責務を担う者はわずか1万5000人前後である。さらには分裂派によって相当な数が散らばってしまい、羊とやぎの習性のような結果が現れた。視無言(シムオン)が集め、他の人が分裂させた。これに対する判断は主イエスがなさる。
オォ、主よ! 私にさらに多くの力を与え、死ぬまで主にだけ服従することができるようにしてください。散らばらせる者ではなく、集める者となるようにしてください。神の羊を私に預けてください。さらに多くの羊を遣わしてください。アーメン。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室