
イエスはよみがえりでおられる
(ヨハネの福音書11:25~26)
神は
父でおられる
その方が
この地に御言葉を遣わされたが、これは(ヨハネ1:14)
神の御子を遣わされたのである(ヨハネ1:18)
御言葉は永遠ないのちでおられる(ヨハネ1:4)
御言葉が肉体となって十字架で死なれたが、
これは私たちと死をともにされたのである(ヨハネ10:17~18)
死んだ者の中から3日後によみがえられたが、
これは神のように生き返られたのである(ヨハネ14:19~20)
私たちはその方が
神のように生き返られたということを信じる(ヨハネ20:19)
その方が死なれたときに、この世と弟子たちは絶望した
しかし、
その方はよみがえることによって弟子たちとこの世に大きな信仰を
与えられたが、復活の信仰である(ヨハネ20:20)
その方がよみがえり、11人の弟子たちに現れ、与えられた
大きな賜物は「平安があなたがたにあるように」であり、
「聖霊を受けなさい」であった(ヨハネ20:21)
そして、「誰の罪であっても赦しなさい」であった
真理は誰も罪に定めない(ヨハネ20:23)
○ 私たちはよみがえられた主を信じる
その信仰は平安を与える
私たちの心霊にはその平安がある
○ 私たちは
聖霊が私たちの中に入って来られたということを信じる
聖霊は助け主として永遠に私たちとともにおられる
○ 私たちは
他の人を罪に定めないで、
全人類とともに自由であるということを信じる
※ 善悪を知ることから解放され、
律法と良心から自由を得る
誰も罪に定めない
【牧師コーナー(松竹岩)】 2018. 12. 9 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
私たちの教会がバプテスト教会であるために、人々は私たちの教会がバプテスト教団の影響を受けているかのように考え、混乱する。たしかに私たちの教会はバプテスマを授けるバプテスト教会である。しかし、私たちの教会は独立教会であるというのが正しい。私たちの教会はどこかの教団の名を借りてバプテストという言葉を使うわけではない。私は独立教会から牧師按手を受け、熱心に伝道して霊魂を救いながら、独立教会を開拓した。
私たちの教会は聖書を法とし、聖書通りに信じ、また、伝道して牧会をする。視無言は長老教会で神学を学んだが、その精神は独立教会である。メソジスト教会で信仰生活をしたが、その精神は独立教会である。一時期、バプテスト教団に身を置いていたが、その精神は独立教会である。
世界のどこに行ってもどの教派に属するのかと尋ねてくるために、バプテスト教会であると答えるが、そのたびに人々はいぶかしがったり混乱したりする。これは「バプテスト教会は神癒に反対しているが、私たちの教会は神癒を信仰行為として行っている。」という理由からである。
私たちは主の戒めとして聖霊を受けるし、バプテスマを受ける。それゆえ、私たちの教会はバプテスト教会とも似ているし、自由意志を主張するという点でメソジスト教会とも似ている。しかし、私たちの教会は初めからバプテスマを受けて聖霊に満たされた、御言葉に還る教会であるし、その正体は独立教会である。非聖書的なものを排斥し、聖書的なものを徹底的に擁護し、「神の意図」に従う、純粋な独立教会である。
この世では教派が数百に分裂しており、互いに警戒し合うというおかしな現象が起こっている。私たちはすべての教会がイエスの下にいるということを認めるが、私たちの教会の正体と精神は独立教会である。教会のかしらはイエス・キリストでおられるし、教会の立法者もイエスでおられる。イエスが語って教えられた信仰は父なる神から出て来たものである。それゆえ、その御言葉に従って他の道に行かない、ベレヤ教会としての独立教会である。
私たちの言葉、思い、行動、信仰は独立教会である。誰の干渉や神学にも揺れ動くことがない。人本主義の文明を牽制しながら、自分の霊魂を文明に奪われないように霊的にならなければならない。文明が霊魂を救うことができるであろうか? 私たちの霊魂は文明に頼らないで神に頼る神本主義信仰を永遠に守る。イエスは「私は道であり、真理であり、いのちである。」といわれた。私たちはその方が神でおられるということを絶対的に信じる。その方は父のふところから現れた神の本体のかたちでおられる。その方は神でおられる。
誰が尋ねてきたとしても、はっきりと「私たちの教会は独立教会である。」と答えてください。「長老教会、バプテスト教団、メソジスト教会とは異なる独立教会である。」と答えてください。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室