聖霊を受けなさい
(ヨハネの福音書14:15~24)
神は
愛でおられる
その方が
この世を愛して御言葉を与えられたが、その御言葉は
神でおられる(ヨハネ1:1)
御言葉はいのちである(ヨハネ1:4)
御言葉は光である
すなわち、神の栄光である(ヨハネ1:14)
御言葉が人となって私たちの中に現れた
御言葉は十字架で血を流し、
私たちを罪(律法)から救った(ヨハネ6:53~58)
その方が再び天から
聖霊を遣わされたが、助け主でおられる(ヨハネ14:16)
助け主とは警護する者、慰める者、弁護する者という意味である
信仰から離れるのであれば、良心が麻痺し、偽善者となる(Ⅰテモテ4:1~2)
堕落するのであれば、再び悔い改めるのがむずかしくなる(へブル6:1~8)
ことさらに罪を犯し続けるのであれば、罪のためのいけにえは残されていない(へブル10:26)
悪霊が出て行ったとしてもさらに悪い霊を連れて来る(マタイ12:43~45)
そのようになれば、
のちの状態は初めよりもさらに悪くなる
助け主の聖霊を受けなさい
○ イエスを信じて罪を洗い流しなさい
主は私たちを救ってくださった
イエスの血だけが救いをなす
○ 聖霊を受けなさい
聖霊は死んでいた私たちを再び生かし、
神の子としてくださった
○ 助け主の聖霊を受けなさい
聖霊は永遠に私を守ってくださる
この世でものちの世でも永遠に守ってくださる
※ 信者の証しは尊い血であり、
神の子となったという証しであり、
助け主と永遠にともにするという証しである
【牧師コーナー(松竹岩)】 2018. 12. 16 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
私は82歳を迎えようとしている。人は目の前に迫ってくる最後の日を考えるときに、どのように考えるであろうか? ある人は「死ぬ日が近づいてきたので、その日まで気楽に生きよう。」と考えながらただその日を待つが、私はそのようにしない。
私は「この世で人間として生きるその限られた時間を何によって満たそうか?」と考え、すべきことを探す。これから10年が残されているのであれば、20年分のすべきことを探して、前倒ししながらそれをしようとする。人々は年老いて休みたいと考えるが、私は働きたい。神にささげた体をさらにささげることさえできるのであれば、そのようにしたい。息をしている間はさらに働きたい。
肉体が健康であるのはすべきことなしにただ息をしているためではない。肉体が担うことができないことをするためではなく、肉体が担うことができることをするためである。歳月は稲妻のように過ぎる。その短い歳月を惜しまなければならない。神は私たちに良い知恵を与えてくださった。年老いてもすることができるのは神を証しすることである。
真理は機械の中に保存されない。神は真理を保存することができる霊魂を創造された。私たちの肉体には食物が保存され、食物から得た栄養やエネルギーが保存される。しかし、神から来る真理は保存されない。真理は私たちの霊にだけ保存される。神は人間を造るときに初めに動物のように肉体を造り、そこに万物を治める知能をもつ魂を加え、人間を万物の霊長とされた。
しかし、それだけでは人が神から来る真理を保存することができない。それゆえ、神は人を生きた霊とされた。神の口から出て来る真理を受容し、真理を保存し、真理とともに自由を所有し、真理によって敵である悪魔と最後まで戦う神の子とされた。しかし、悪魔はその霊を破壊し、それによって真理を聞く耳をふさぎ、真理を永遠に所有したり証ししたりする力を失わせた。
神は御子をこの世に遣わして、その血によってそれを回復させた。そのようにして回復したのが救いを受けた私たちの霊魂である。神はこの霊魂が悪魔の惑わしや試みに永遠に勝利し、真理を聞いて従い、神の体の器官となるようにされた。
私たちは獣ではない。霊魂をもつ人間である。霊魂の任務は真理とともに自由となり、真理の証人となり、よみから神の国まで永遠に真理とともにすることである。聖霊はただ霊魂にだけ入って来られる。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室