
むなしいものを求めてはいけない
(マタイの福音書6:8~13)
神は
義なる父でおられる
その方が
この世に御言葉を与えられたのは
この世に信仰を与えるためであった(ヨハネ10:35)
神が私たちに信仰を与えられたのは
神以外の他のものにだまされないようにするためであった(出20:3)
神のものはすべて天(霊界)にある(マタイ6:13)
宇宙の中にあるものは永遠ではない(黙20:14)
神は私たちに必要なものをすべて知っておられる
悪魔が与えるというものは宇宙の中にだけあるものであり、
偽るものである(マタイ4:9~10)
私たちは信仰を得る前には天にあるものを求めなかったが、
信仰を得たのちには信仰によって求める
神が御子を与えられたというのはすべてを与えられたということであり、
永遠な約束である(へブル1:4)
神は御子に御名を与えられたし、
信じる私たちには御子を相続財産として与えられた
イエスは私たちの永遠な相続財産でおられる
○ 聖霊は私たちが信じるものを証しされる
永遠に私たちのものであるということを保証される
聖霊によって信仰をしっかりとしたものとしよう
○ 人々が慕い求めるのは宇宙の中にあるものだけである
天(霊界)にあるものは探し求めない
しかし、私たちは天にあるものを相続財産として受けた
○ 霊的になろう、信仰によって霊的になろう
霊的な者は聖書通りに、
聖霊によってだけ信仰生活をする
※ 私たちの祈りをまことに、まことに、
神に受けさせよう
神にだけあるものを求めよう、アーメン
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 2. 10 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。」神はそのやみに光を創造し、光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。そして、そのやみを2つに分け、上の水と下の水に区別し、その間に大空という天を造られた。その天は学問的には宇宙といい、霊的にはよみという。また、神はその下の水からは地を現されたが、これは現在、私たちが暮らしている地である。
神は天地創造のときに光とやみ、昼と夜、生と死、幸せと不幸、自由と抑圧、望みと呪いが存在するようにされた。生まれたとしても必ず死を味わうようにされた。万物は一度、死ぬことと、そののちに必ず裁きを受けることが定められている。それゆえ、宇宙の中では何も永遠に所有することができない。権勢や栄光も所有することができない。一度、所有したとしても再び奪われるのが、定められた道理である。
永遠に奪われることもなくなることもないものはただ天にある。国と権勢と栄光は永遠に神にだけある。それゆえ、神は「失われるもの、滅びるもの、死ぬものを求めないで、また、何を食べるのか、何を飲むのか、何を着るのかを求めないで、神の国、光の国、永遠に夜もやみも呪いも不幸もない国とその義を求めなさい。」といわれた。
肉体の情欲によって求めるものはすべて宇宙の中にあるものである。しかし、霊のために求めるものはすべて天(霊界)にあるものである。今、私たちが求めるものは何であろうか? 宇宙の中にあるものであろうか、宇宙の外、天(霊界)にある永遠なものであろうか。互いに愛し合ったとしてもそれが宇宙の中にある愛であるのならば、必ず離別や悲しみがあるが、その愛が天(霊界)にある愛であるのならば、永遠である。神の国も権勢も栄光も永遠であるし、その愛も永遠である。
今、神の御名、イエスの名をもって宇宙の中にあるものを求めるのであれば、神の御心から逸れる。神は「その名によって天(霊界)にある永遠なもの、すなわち死もやみも夜もないものを求めなさい。」といわれる。主は「あなたがたは互いに愛し合いなさい。」といわれたが、宇宙の中にある愛は必ず敵となるということを忘れてはいけない。主が語られた愛は夜もやみもない永遠なものである。それゆえ、敵も永遠にその愛の中に置きなさいというのである。
私は生涯、祈る者であるが、いつも永遠な国でだけその応答を得ようとする。それゆえ、その応答は永遠なものである。霊魂のために生きよう。私の霊魂はどこに行くのか? 宇宙の中にとどまるのか、天(霊界)に行くのか? 神に感謝をささげよう。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室