
律法を成就されたイエス
(マタイの福音書5:17~20)
神は
完全無欠でおられる
その方が
この世にひとり子を遣わされたのは(ヨハネ3:16)
御心をなすためであった(ヨハネ6:38~40)
神が造られた天(霊界)と宇宙と万物に
問題が生じたが、その答えは
神だけが知っておられる(マタイ24:35~36)
神がその答えを与えないのであれば、
永遠に解決されることはない(マタイ6:13)
その答えはひとりお生まれになった御子である
神の御子がその答えをもって来られた(ヨハネ3:13~15)
律法や預言者が答えを与えようとしたが、
イエス・キリストだけがその答えでおられる(ガラテヤ3:19)
それゆえ、
イエスなしにはその答えが永遠に与えられない
イエスが来られたのはその答えを与えるためであった
イエスは答えでおられるし、真理でおられる(ヨハネ14:6)
聖霊は真理の霊であり、その答えを知っておられる(ヨハネ16:13)
イエスを知ろう(ヨハネ17:3)
聖霊によってだけイエスを知ることができる(ヨハネ15:26)
○ イエスを知るのがいのちであり、永遠のいのちである
イエスなしに身もだえしたとしても、自分を救うことができないし、
最後は地獄に落ちる
○ その答えを知っていなければならないのは
それぞれの霊魂であり、肉体ではない
その答えはただ霊魂が得なければならない
○ その答えは
神の義であり、御心である
神の義と御心を知ってこそ成就する
※ イエスを知ろう
イエスを信じて恵みを受けなさい
恵みを受けてこそ生きる
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 4. 14 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
私が今日、まことに感謝して喜ぶのはイエスを知る幸せに満たされているためである。このような喜びは言葉ですべて言い表すことができないが、私の霊魂は喜ぶ。人の肉体の問題は霊だけが解決することができる。霊の要求は聖霊だけがかなえられるし、聖霊はその答えを神の御子から得る。神の御子イエスは神の御心である。神だけが知ることは天にいる天使も御子も知ることができない。ただ父なる神だけが知っておられる。
神が天を創造されたが、その天は完全なものではなかった。神が宇宙を創造されたが、その宇宙もやはり完全なものではなかった。天を完全にし、宇宙を完全にする答えはただ神にある。人類の問題においてもその答えはただ神にある。神がふところにおられたひとり子をこの世に遣わされたのは人類だけでなく、万物を完全にするためであった。神の御子は堅固に閉じられたよみの門を開く鍵であり、天に行く鍵である。これは真理である。神は御子を遣わして、答えを与えられた。それゆえ、イエスなしには永遠に何も完全になることはない。
私たちは幸せになることを願う。その答えはイエスである。私たちは生きることを願う。その答えもイエスである。イエスが私たちを天に行かせ、永遠のいのちを得させる。国と力と栄光はただ神のものである。それゆえ、神の御心を超越するのであれば、決して完全になることはない。生涯、自分の功労を積んだとしても、結局、不完全な終末を迎えるようになる。多く学んで力を尽くして得たこの世のものによっても答えを得ることができない。結局、死んで土に帰るしかない。
イエスは神の御心であり、答えであり、真理である。真理は神の鍵である。イエス・キリストを知る者にだけ与えられる鍵である。私はこれまでこの世の者としては最も厳しい歳月を送ってきた。誰もうらやむことがない歳月を送ってきた。しかし、視無言(シムオン)はまことに幸せである。この世で包囲され、無慈悲にも殴られてきたが、霊魂は感謝にあふれている。これはイエスによって自分の霊魂を見つけ出したためであり、霊魂がイエスを知ったためである。
神はイエスを私たちの霊魂に突きつけながら、「食べなさい」、「飲みなさい」といわれる。その方をただ目の前で見て知るのは答えとならない。その方を自分の腹の中に入れ、霊魂に供給しなければならない。霊魂が滅びるのはイエスがいないためである。
イエスがいる者は完全な者である。天に入って行って永遠に生きるし、この地でも霊的な栄光を得る。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。神のものは神に返しなさい。」という御言葉に従いながら、神から与えられた永遠な真理、永遠な答えをもってこそ幸せになる。イエスがいない者は不幸であるが、イエスがいる者は幸せである。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室