父が栄光を受けられるのであれば
(ヨハネの福音書14:13~17)
神は
栄光を受ける方でおられる
その方が
この世に御子を遣わされたのも
栄光を受けるためであった(ヨハネ17:1)
この世で聖徒に愛を施されるのも
栄光を受けるためである(ヨハネ17:4)
この世で礼拝を受けられるのも
栄光を受けるためである(ヨハネ17:5)
聖霊をこの世に遣わされるのも
栄光を受けるためである(ヨハネ7:37~38)
イエスに十字架の苦難を受けさせたのも
栄光を受けるためであった(ヨハネ17:10)
聖霊によってイエスを死んだ者の中からよみがえらせたのも
栄光を受けるためであった(マタイ17:5)
主イエスの再臨を約束されるのも
栄光を受けるためである
神の御名を知らせるのも
栄光を受けるためである(ヨハネ17:11)
父が栄光を受けられるのであれば、(ヨハネ14:13)
御子は必ずそれをすると約束された
○ 私たちの祈りは何であろうか?
神は私たちが使うものを知っておられる
祈りは父の名に栄光を帰すものである
○ 「父が栄光を受けるようにしなさい」というのは
イエス・キリストの戒めである
従う者は約束を受けた者である
○ イエスが
遣わされた聖霊は永遠に私たちとともにいて、
私たちの中で自分を現される
※ 祈りはただ自分の願いを伝えるものではない
まず神の御心を理解するものである
その国と力と栄光はただ神のものである
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 4. 28 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
人々は私を愚かな者というかもしれないが、昔の話をしようと思う。私が生涯、最もうれしかったのは私に息子が生まれ、私が父になったということであった。生まれてきた息子の瞳は私に似ていたし、高い鼻はさらに私に似ていた。また、成長しながら現れてきた賢さは私を興奮させないわけにはいかなかった。
私は息子が生まれる前から毎日、胎内で育つ息子のために熱心に祈った。その祈りが多くの時間を割いてしまうこともあった。家族を養う力がなく、悩んでいたときに、神は私に妻を与えてくださった。しかし、子どもができることを心配し、森の中に入って行って40日間、祈った。「子どもが生まれたとしても、私にはその子どもを育てる力がありません。私が祖先から受け継いたのは貧しさしかありませんが、子どもにもそれが受け継がれるのではないかと恐れています。貧しさによって子どもも学校に通うことができなければ、無知な者となってしまいます。それゆえ、生まれる子どもを主がお受けくださり、主の手で養育してくださり、主のしもべとしてください!」
私は聖楽教会を開拓するときに、お金がなかったとしても力を尽くして開拓に成功しなければならないと考えた。そして、礼拝堂を建てるために自分が暮らしていた家を売り払い、礼拝堂の片隅に部屋を造ってそこで息子を育てようと決心した。そのように暮らしてみたところ、息子の教育に妨害となることも多かった。しかし、息子はその困難に耐え、結局、私が祈った通りに、また、神の御心通りに、韓国だけでなく世界で最も優秀な学校で学んだ。私はすべての人にこの事実を誇りたかったが、子どもを自慢するのはよくないと考える伝統の影響を受けていたために、心の中でだけ喜んだ。
私の息子は小学校のときから賢く、勉学にも優れ、知恵にあふれていた。息子について口にすることはなかったが、私は息子によって多くの栄光を受けてきた。私は息子とともに聖楽教会を開拓し、父として息子に与えるべきものまですべて教会に注ぎ込んできた。そして、一貫して「私は子孫に財産ではなく、働きの場を残す。」といってきた。
父である私にとって喜び、栄光とは何であろうか? 息子が父の霊感や力を継承することである。このような文章を読んで批判する者もいるであろうが、これは私の願いである。私の子孫は学び、成長し、聖なる者となった。彼らはこの世に出て行ってむなしいことをすることもなく、ただ聖なる働き手として神の栄光のために生きるであろう。
私の子孫たちよ。だまされてはいけない。この世は偽りの父、悪魔から聞いて学んだことをもって人々をだます。ただ真理だけを頼って還言の使者となろう。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室