
イエスの血を飲みなさい
(ヨハネの福音書6:53~58)
神は
いのちでおられる
その方が
私たちにいのちを与えるために御言葉を与えられた(ヨハネ1:4)
御言葉は私たちを生かすいのちである(ヨハネ6:63)
神はいのちを与えて生かすために
イエス・キリストを遣わされたが、その方が御言葉でおられる(ヨハネ1:14)
「私は道であり、真理であり、いのちである」(ヨハネ14:6)
イエスは人として来られたいのちである
人類は罪によっていのちを失い、
罪と死によって滅びるようになった(Ⅰコリント15:56~58)
肉体は豊かであったとしても、(黙3:17)
霊はそうではない
呪いの下にいて、最後には永遠に死ぬ(黙20:12~14)
霊は永遠に存在するために、
地獄の火に入って行って、永遠に苦痛を受ける
地獄を知らないために、福音を信じない
しかし、
地獄は待っている
悪霊がどんなに恐れるのかを知っているであろうか(ルカ8:31)
聖霊は私たちの霊魂を生かすために
イエスの肉を食べさせ、血を飲ませる(ローマ8:1~2)
○ 神は人間の来世をよく知っておられる
「義とされないのであれば、滅びるし、
義とされるのであれば、永遠に生きる」ということを知っておられる
○ このために特別に啓示を与えられた
イエス・キリストはいのちでおられる
○ イエスがよみがえられたと信じるのが私たちの信仰である
これは私たちの望みであり、
神の約束である
※ その日が来れば、私たちは必ず復活する
私たちの中にいのちがあるためである
聖霊がこのいのちの証人となられる
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 6. 2 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
私が愛する聖楽教会の聖徒、また、これまで私とともに還言ベレヤのために犠牲を払ってきた同労者はすべて神に召された公人である。今、私たちが教会で教会員を教えて導く働きは私的なことではないし、望みがないことではない。
神はひとり子をこの世に遣わして、そのひとり子に進むべき道とすべき働きを命じられた。それゆえ、私たちはそれを「イエスの公生涯」という。その方の御言葉にとどまる者はその方の弟子である。その方は弟子を身近に置き、遣わして福音を宣べ伝えさせ、悪霊を追い出す権威を与えられた。それゆえ、私たちも公生涯をもっているのである。
私は主に召されたときから「私の生涯は公生涯である。」と確信した。自分の家族を養うために働いたことはなかった。神が烏を通してエリヤにパンと肉、水を供給されたように、また、神が天使を通してえにしだの木の下で横になっていたエリヤに食べ物と飲み物を与えられたように、私は家族をただ神の導きに預けて、聖楽教会に身をささげた。
そして、何回も妻に「私がすることは公生涯に属した公的なことである。私は公人である。それゆえ、私がしようとすることをいちいち知ろうとしてはいけない。また、家族を養うことを私に求めてはいけない。私たちはそれぞれ公生涯をもたなければならない。」といった。それゆえ、妻は多くの苦労をしてきたが、私がすることにいっさい干渉しなかった。私は家を売ったり、数十億という巨額のお金を神にささげたり、得た収入をすべて公生涯のために使ったりしたが、まったくそれを妻に知らせようとしなかった。また、妻も干渉したり、苛立ったりしなかった。妻は神から与えられた大きな同労者であった。
私の公生涯は一般的なものではなかった。まことに私に与えられた唯一の道であった。いつの間にか、その道も終わりに近づいてきている。これからは私の後を継ぐ者がこの多くの苦痛を担っていかなければならない。苦痛がないことを期待するのは苦痛なしに子どもを産もうとするようなものである。これは実際に不可能なことである。神は女に「あなたは苦しんで子を産まなければならない。」といわれた。このような戒めは今日まで続いている。子どもを産む苦しみなしに子どもをもつ者はいない。
今、私たちは私を通して開拓された福音仲裁を、信仰と使命によって学んでいる。私は50年前に福音仲裁に関する本を250冊以上、書くと決心した。これ以上、さまよってはいけないし、私が備えた土台の上にまた別の土台を備えようとしてはいけない。私が書いた本は私たちの教会の信仰教育である。説教要旨とともに私たちの教会の貴い知的財産として保護して守っていかなければならない。そして、教え、また、学びながら、神の御心をこの地で成就していかなければならない。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室