
罪を赦す権勢
(ルカの福音書5:17~26)
神は
愛でおられる
その方が
この世を愛してひとり子を与えられた(ヨハネ3:16)
神は第一に御子を愛される(マタイ17:5)
神の御子は御言葉でおられる(ヨハネ1:14)
御言葉は真理である(ヨハネ14:6)
真理はいのちである
いのちは血であり、(レビ17:11)
神の血である(使20:28)
獣の血はイスラエルを荒野に導いたが、(出12:22~23)
霊魂を救うことはできなかった
血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはない(へブル9:22)
イエス・キリストの血は唯一の
神の愛である(Ⅰヨハネ4:8)
愛は感情ではなく、
神の血である
神は自分の血によって愛を語られた
感情による愛は変わるが、
神の血による愛は永遠ないのちである
聖霊は真理の霊であり、いのちであり、愛の霊である
○ 私たちが救いを受けたのは
神の愛を受けたためである
その愛は神の血である
○ 私たちが病気の癒しを受けたのは
神の愛を受けたためである
その愛は神の血である
○ イエスは罪を赦す権勢をもたれた
神の御子であるために、神の血をもって来られた
イエスの血は神の愛である
※ 神の愛を受けなさい
神の愛だけが罪を贖う
神の愛だけが病気を癒す
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 7. 21 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
愛する聖楽人のみなさん、そして、全世界におられるベレヤ人のみなさん。私は年老いて、肉体も完全に消耗しています。それゆえ、誰かと戦ったり過激に対応したりすることもできません。しかし、救いを受けた霊魂、復活を待ち望む者として一言、伝えようとします。これは慰めを受けるためでも弁明するためでもなく、ただ真実と真理のために生きてきた生涯を簡単に整理し、自分の子孫と愛する人々の模範となるためです。
私は今回、裁判の第一審において裁きを受けました。しかし、私は屈することなく、第二審、第三審に上訴して、自分の潔白を明らかにしようとします。その前にまずみなさんに尋ねたいです。自分の霊魂を担保として神の御前で答えてくださることを切に願います。
今、私の名誉や体面は悲惨なものとなっています。しかし、このようなものは天にもって行くものではないために、引き裂かれたり破壊されたり潰されたり血を流したりしたとしても、この世で自分が耐えればいいだけです。ただこの世で味わうことを味わっていると考えるだけです。私がこれまで一度も後ずさりすることなく、ただ前だけを見て走ってきたのは「還言ベレヤ」の使命という道です。私はこのために生まれ変わって生きてきましたし、命をささげてきました。どのような逆境にも屈することなく、卑怯になることなく、すべてを受けてきました。
それゆえ、信仰的に正しい心霊をもって答えてくださることを願います。私の霊魂はとても幸せです。少しも恐れや悩みによって揺れ動くことはありません。まことに神の恵みによって幸せです。私の中には神の愛の証しとして神の血がありますし、その血の名であるイエスの名があります。みなさんに尋ねたいです。半世紀を超える私の働きに聖書的に、信仰的に誤りがあったでしょうか?
「ベレヤ」は視無言の神学です。神学と神学的な判断の間には争いがあります。それゆえ、自分の神学のために命をささげてきました。私たちの信仰は神本主義信仰です。ともに進みましょう。感謝します。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室