
イエスの名の意味
(マタイの福音書1:18~25)
神は
いのちと力の父でおられる
その方が
いのちと力をこの世に与えるためにふところにおられた
ひとり子を遣わされたが、インマヌエルであり、(ヨハネ1:18)
イエスでおられる
イエスの名は自分の民を罪から救うという意味である
神の御子は
イエスの名をこの世でなすために来られた(ヨハネ1:12)
イエスは恵みと真理といのちの名である(ヨハネ14:6)
「ロゴス」とは真理の御言葉である(ヨハネ1:1)
イエス以外には、誰によっても救いはない
天の下でこの名のほかに、救いを得させる名が与えられたことはない(使4:12)
第一に、罪から救いを受けなさい(マタイ9:2)
律法と良心から救いを受けなさい(Ⅰコリント15:55~57)
第二に、病気から救いを受けなさい(マルコ16:17~18)
他の方法はないので、その名が癒しである(ローマ10:9)
第三に、幸せになりなさい(ルカ24:50~53)
ただ神の幸せによって幸せになりなさい(ヨハネ20:19)
イエスの名は完全無欠な救いという意味である(マタイ1:21)
聖霊は今日もこれを証しされる(ヨハネ15:26)
○ イエスの名を呼びながら、
イエスの名によって罪をなくしたのではないか
イエスの名によってすべての罪に勝利しなさい
○ イエスの名によって悪霊を追い出し、
病気から完全に自由になりなさい
イエスの名によってしなさい、病気を癒しなさい
○ イエスの名は完全ないのちと力である
神から与えられた他の救いはない
イエスの名によって救いを受ける者が聖徒である
※ イエスの名を呼びなさい
喉が張り裂けるほど呼びなさい
イエスの名はあなたの救いである
【牧師コーナー(松竹岩)】 2019. 9. 8 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
人々は私に「会う時間がありますか?」と尋ねる。私はこのような質問を常に受ける。そのたびに私は少し躊躇したり慌てたりする。私には時間的な余裕がない。私は常に心がせわしい。たとえ部屋の中で座っていたとしても、とても忙しい。肉体を休める暇さえもほとんどない。
すべての時間に霊感を伴わせようという切実さによって私の心霊はとても忙しく生きる。今、私は自分の心霊を混乱させないために、この世で良いといわれる情報もできるだけ聞かないようにしている。聖霊から与えられる霊感だけが私を生かすためである。私は肉体の時計の針が進んでいるということを知っている。また、月が浮かび、太陽が浮かぶのも太陽が溶けてなくなる兆候であるということを知っている。そのために、私はさらに忙しく生きる。一字でも多く書き残したいし、一言でも多く伝えたい。そのような思いが切実である。私にはすべきことがさらにあるし、それをしようとする。
真理は私の一生をつかんで、私の生涯の車輪を走らせた。これからは友人にも会いたいし、聖徒たちにも会いたい。詩も書きたいし、絵も描きたい。私のそばには多くの友人がいる。彼らはすべて栄光の天の御国を求める者である。私は隠居した者ではなく、光の下で生きる者である。喜びをもって神から与えられたことをしようとする者である。
私の人生を決めるのは神おひとりである。その方が願われるのであれば、何でもしようとする。平安を願われるのであれば、そのようにしようとするし、苦痛を受けることを願われるのであれば、その通りにしようとする。誇らしくはないが、これまで歩んできた生涯を恥ずかしく考えることもない。一生を自分の思い通りに送らないで、ただ神の御心通りに送ることだけを求めてきた。神が導かれる道であるのならば、すべて担おうとする。
今、私たちが願って心を合わせて祈るのは金聖顯監督がさらに聖霊に満たされた霊的な指導者になるということである。父が歩んできた道を進もうとするときに多くの迫害や困難があるであろうが、これは神が私たちに啓示された信仰である。誰でも担うことができる働きではなく、選ばれた者だけが担うことができる働きである。
第一に、聖楽教会の全聖徒が思いを尽くして、暴風や台風が襲ってきたとしても少しも揺れ動くことがない聖楽教会を作らなければならない。これまで落ちていったいちじくの実がどんなに多かったであろうか。大きな枝が数本、台風によって折れて、木から離れていった。しかし、残っている枝から新しい枝が出て来て、新しい葉をつけ、花を咲かせ、実を結ぶようになる。
まだ風は止んでいないが、偽りのない聖楽人は勝利している。金聖顯監督を中心としてひとつとなって成長していくように祈っている。これは私たちすべてのためであり、「還言ベレヤ」のためである。アーメン。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室