【質問】
神の愛や助けを受けるために教会に通うのではないでしょうか?
神の愛や助けを受けるために教会に通うのではないでしょうか?
今日、多くの人が神の立場を無視して、人間の立場だけを考えます。それゆえ、その信仰はご利益信仰の水準を超えることができません。彼らは「神は私を愛してくださる。」という言葉に過度に執着するために、思いがけない苦難に遭ったりすると、「神は愛でおられるのに、どうして私を助けてくださらないのであろうか?」と疑います。
自分の立場だけを考える者は賛美をするときにも、神の御名を賛美するよりも「うれしいです。まことにうれしいです。」といいながら、自分の感情を現すところに関心をもちます。私たちは賛美をするときに歌詞がどのような内容であるのかを注意深く調べ、自分の感情に執着する人本主義的な賛美をしないようにしなければなりません。
私たちは神の御名のために造られた存在です。それゆえ、ただその御名にふさわしい栄光をささげ、その御名にふさわしい生活をし、その御名にふさわしい考えや行い、言動をもたなければなりません。もし苦難を受けることによって神の御名にふさわしい栄光をささげることができるのであれば、私たちは喜びもって苦難を受けなければなりませんし、もし血を流すことによって神の御名にふさわしい栄光をささげることができるのであれば、私たちは喜びをもって血を流さなければなりません。私たちは自分が神の御名を利用しているのか、そうでなければ、神の御名を賛美しているのかを自ら診断しなければなりません。
(金箕東 著 『 神の御名 』「5. 神の御名を迎え入れなさい。」より)