【質問】
恵みによって救いを受けるといいながら、どうしてそのように熱心に信仰生活をするのでしょうか?
恵みによって救いを受けるといいながら、どうしてそのように熱心に信仰生活をするのでしょうか?
人々は教会で楽に御言葉を聞き、恵みを受け、賛美をささげることは好みますが、教会が担わなければならない苦難をともに担うことは嫌います。教会生活をするというのはキリストとともに相続人となった者がキリストとともに栄光を受けるためにその苦難をともに担うということです。キリストが公生涯を送られたように、キリスト者はそれぞれ自分の十字架を負って、公生涯の道を歩まなければなりません。
私たちは本来、土の器のように卑しい者ですが、神の御名を迎え入れたために、神の永遠な財産を相続する神の子となりました。このためにキリストが命まで捨てて、私たちを生かしてくださいました。それゆえ、これからは私たちも命まで捨てて主のために献身しなければなりません。現在の苦しみは将来、私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものです。
(金箕東 著 『 神の御名 』「5. 神の御名を迎え入れなさい」より)