
霊魂が幸いを得るように
(ヨハネの手紙第三1:2~4)
神は
万福の根源でおられる
その方が
人類を創造し、(創1:26~27)
この地で生まれた人類を
天に連れて行き、そこで永遠のいのちを得させる
これが天で完成された、(マタイ6:10)
神の御心である(ヨハネ6:34~40)
万物に太陽や雨を与え、生態系が生きていくようにされたが、
それよりも先に(マタイ5:45)
私たちが神の祝福によってさらに幸いを得るようにされた
これが神と私たちの関係である(ヨハネ4:23~24)
神は私たちがこの地で幸いを得ることを願われる
病人が癒しを受けて健康になることを願われる(マタイ11:2~6)
しかし、
その目的は永遠のいのちに入って行くことであり、霊魂が幸いを得ることである(ヨハネ17:3)
霊魂に幸いを得させるために恵みを与えられた(ヨハネ1:17)
神の御名を知って信じ、(ヨハネ20:30~31)
神の血を飲み、いのちを得て、(ヨハネ6:53~55)
神の戒めを受け、永遠のいのちに至るようにされた
聖霊によってこの地でなすことをするようにされた(マタイ12:28)
○ 神に従って豊かになりなさい
豊かになったことを神の御前に現しなさい
神はすべてが栄えることを願われる
○ 病気の癒しを受けなさい
主イエスは意味もなく、むち打たれたのではない
その方の打ち傷によって私たちが癒しを受けた
○ しかし、
霊魂が幸いを得なければならない
イエスが苦難を受けられたのは私たちの霊魂のためであった
※ 聖霊によって霊魂に幸いを得させるために
生まれ変わらせた
聖霊の人にならなければならない(ヨハネ3:4~8)
【牧師コーナー(松竹岩)】 2020. 03. 15 (主日礼拝) 聖楽教会 週報より
聖楽教会 元老監督 金箕東牧師
私は若いときに主イエスのために生きると誓った。そのとき、神はさまよっていた道で私に「神の意図」を悟らせてくださった。私はそのときまで聖書を75回、読んでいたし、聖書の聖句とその中にある事件のほとんどを覚えていた。しかし、それが何を語っていたのかを知ることができなかった。聖書を誤って解釈して地獄に行くのではないかという恐れに支配されていた。そのとき、神は天の霊感を与えてくださった。その感動をどのようにして言葉で言い表すことができるであろうか。
まことに大きかったのは神の意図とともに力が私から現れたことであった。そのときから働きはじめ、全国各地にリバイバリストとして招待され、教えた。群衆は雲のように集まってきたし、牧会者も多いときには300人余り、普通でも30~40人、集まってきた。そのとき、牧会者の苦悩を知ったし、彼らが何に抑圧されているのかを知った。すべてが教権と教理に手足を縛られ、身動きが取れないでいた。恵みの中で集会を終えたとしても、数ヶ月後には教会が元の状態に戻ってしまった。
私は「神はどうして私を召されたのであろうか? 愚かで無知で誇るところもない私をどうして用いられるのであろうか?」と考えたが、そのとき、「神は知恵ある者をはずかしめるためにこの世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるためにこの世の弱い者を選ばれたのです。」という御言葉を悟った。そして、自分にはすべきことがあるということをはっきりと知って覚悟を決めた。ゴルゴタの道のような孤独で険しい道を自ら招いたのである。「弱まれば、彼らのように世俗化され、宗教人になってしまう。」という恐れのために、どの教団にも属することなく、ただ真理をもって遠い道のりを走ってきた。
「孤独であったとしてもただこのひとつの道、神の意図だけを証ししよう。」という考えをもって教え、牧会し、伝えてきた。これまでどれくらい大変であったのか、言葉で言い尽くすことができない。孤独な道を行く旅人となり、迫害や疎外や無視を受けたとしてもひとりで耐え、視無言してきた。そのようにして今日に至ったのである。
イエスの公生涯がどんなに孤独であったであろうか。その方が背負われた十字架がどんなに恥ずかしいものであったであろうか。しかし、その方はそれを意に介さず、ひとり十字架の上でこの世に来られた目的を完成された。地球上のすべてのものが人の心を誘惑する。十字架ほどすべての人が恥ずかしく考えて避けようとするものはない。主イエスの結末はこの世が避けようとする十字架であった。
私は「自分の十字架を負って私について来ない者は私にふさわしくない。」という主の御言葉を肝に銘じて、この世が嫌うベレヤ・アカデミーのために自分の命を差し出した。自分の命よりも貴いベレヤのために聖楽教会を養育し、視無言してきた。ベレヤを恥ずかしく考える者は十字架を恥ずかしく考えるのと同じである。そのような者はすでに心が離れた者であり、私の同僚となることができない。私が死んだとしても、聖楽教会がベレヤと視無言を切り株として最後まで勝利することを期待する。
翻訳: 聖楽教会 聖楽宣教センター 日本語翻訳室