2020. 09. 27 機会を生かして用いなさい (エペソ人への手紙5:15~21)

 

 

機会を生かして用いなさい
(エペソ人への手紙5:15~21)

神は
永遠に生きておられる
その方が
この世に御子を遣わされたのは(ヨハネ3:16)
この世に永遠のいのちを得させるためであった(ヨハネ6:40)
その方は人間と万物に寿命を与えられた(へブル9:27)
寿命は去っていく機会のようにすぐに尽きる(伝1:3~11)
機会は待ってくれない
肉体は自分の霊魂のために使うロウソクのようなものである
ロウソクが溶けてしまえば、火は自然に消えてしまう
主イエスが私たちの霊魂のために血を流された(Ⅰコリント11:23~29)
永遠のいのちに対する望みをもつのであれば、
血を流すまで罪と戦いながら、機会を生かして用い、(へブル12:4)
神に従って服従し、その方を喜ばせなければならない
永遠のいのちは恵みによって受けるが、報いは肉体の労苦の代価である(へブル11:6)
すべての人がそれぞれタラントを受けたように、(マタイ25:14~30)
自分の働きをして最後に殉教しなければならない(黙20:4~6)
この世に属してはいけないし、愚かな者となってはいけない(ヨハネ8:44~45)
主の御心が何であるのかを悟らなければならない(ローマ12:2)
神に属する者とならなければならないし、聖さを失ってはいけない(Ⅰペテロ1:15~16)
聖霊の導きを受けなければならない(ヨハネ3:8)
〇 神の命令が教会に与えられた
     教会で互いに従って服従するのが聖さである
     兄弟姉妹は主の戒めのようなものである
〇 この世のことに執着して恵みの生活をすることができなければ、
     思いがけない日に機会は失われる
     謙遜に、敬虔に永遠のいのちを待とう
〇 主の御言葉を聞くのが信仰である
     宗教人は生まれ変わることができないで、ただ徳を積むが、
     永遠のいのちの日に慰めを受けることができない
※ 風のようにすぐに去っていく機会を恨まないで、
    聖霊によって生き、霊的にならなければならない
    私たちは松竹岩ソンチュグァムのように節度を守ろう

2020. 09. 20 人をとる漁師となろう (マタイの福音書4:17~22)

 

人をとる漁師となろう
(マタイの福音書4:17~22)

神は
永遠のいのちでおられる
その方が
イエスをこの世に遣わして、
御心をなそうとされた(ヨハネ6:38~40)
神の御心は信じる者をすべて救うことである
イエスの救いは霊魂の罪を代わりに贖い、
霊魂に永遠のいのちを得させるものである
旧約時代のイスラエルの神である天使は
宇宙の中にあるいのちと祝福、死と
呪いの中からいのちと祝福を得させた(申30:19~20)
エホバの名によってイスラエルはこの世に耐えて
祝福を受けたが、永遠のいのちを得た者はひとりもいなかった(ガラテヤ3:1~5)
ただ肉体の規定として戒めを受けた(へブル9:8~10)
イエスは肉体のために一度だけ使う、
魚をとる働き、婚礼のしるし、5つのパンと2匹の魚の
しるしを見せられたが、これは一回的なものであった(マタイ14:17~21)
魚をとる方法、ぶどう酒を作る方法、
5つのパンと2匹の魚のしるしは一度だけ使うためのものであった
それによって永遠に生きることはできなかった
イエスが来られたのは信じる者を救うためであり、
永遠のいのちを与えるためであった(ヨハネ3:16)
その方は人をとる漁師となりなさいといわれた(マタイ4:19~20)
〇 肉体の利益のためには従わせたし、
    霊魂の利益のためには信仰をもちなさいといわれた
〇 魚をとる技術ではなく、
    人の霊魂をとる力を与えられた
〇 主の召しを見なさい
    主とともに霊魂を救う者となって、すべての人の前に出て行かなければならない
    私たちはすべて召された者である
※ 主に魚をとる技術を求めないで、
   人の霊魂を救う力を求めよう
   聖霊の助けなしには不可能なことをする力を求めよう

2020. 09. 13 聖徒の信仰 (コリント人への手紙第二10:3~8)

 

聖徒の信仰
(コリント人への手紙第二10:3~8)

神は
全能でおられる
その方が
なさることをふさぐことができる者はいない(マタイ16:23~24)
その方の御言葉を否定することができる者もいない(マタイ17:5)
天地はなくなったとしても、その御言葉は永遠である(マタイ24:35)
このいのちの御言葉が私たちの心に与えられた
私たちの信仰はこの御言葉を信じるものである(ヨハネ8:31)
そして、
私たちは肉体にあって不義と戦うが、
肉体の感情や理性をもって戦うのではなく、
御言葉を信じる信仰をもって戦う(マタイ4:1~11)
その信仰は私たちの前にある要塞を破るほどの力をもつ
この世はすべての思弁、理論によって十字架の道を否定するが、
私たちは神の真理によってそれを打ち砕く
この世は神を知る知識に逆らって無理やりに罪に定めるが、
私たちはその高ぶりを打ち砕く
さまざまなはかりごとや哲学がのさばろうとするが、
御言葉は生きているし、よみがえられた方の力がそれをつかんで、
イエス・キリストに服従させる(ピリピ2:10~11)
聖霊が聖徒に大きな感動を与えて働かれる(Ⅰコリント12:7~10)
〇 私たちの信仰には節度がある
     一度、主を認めて主と結びついたのであれば、
    霊的な花嫁のように、永遠に変わることはない
〇 御言葉の信仰をもったといいながらも、
    「宗教人となった、信者となった」といって二心を抱き、
    卑怯になり、堕落する者もいる
〇 御言葉を受けたのであれば、神となったのであり、
    神の子となったのである
    私たちの霊魂は天に属する
※ 神に属する者はまず自分の肉に勝利し、
   この世のすべての偽りを分別し、
   復活の望みに満たされる

2020. 09. 06 宝を土の器に入れて (コリント人への手紙第二4:7~15)

 

宝を土の器に入れて
(コリント人への手紙第二4:7~15)

神は
霊でおられる
その方は
霊の本体であり、天という永遠で無限な方でおられる(へブル1:3)
人は
神が土によって造った土の器のようなものである(創5:2)
土はどんなに苦しんで、顔に汗を流したとしても、
最後には土に帰るだけである(創3:19)
肉体は結局、土に帰る
しかし、
神は人の心の中に霊、すなわちいのちを与え、(創2:7)
その血によって守られたが、これが永遠のいのちである(使20:28)
神は聖霊を遣わして永遠にともにさせ、それによって(ヨハネ14:16~17)
土の器の中に恵みと信仰という宝を入れた
宝を多くもった者はどのような試練も恐れない
アブラハムは旅人(イブリ)であったが、
神から与えられた祝福を守った(創12:2~3)
イサク、ヤコブ、イスラエルに
大きな祝福を享受させた
人類の救い主が彼から出て来た(創22:17~18)
聖霊が私たちの霊魂を神殿とし、真理とともに臨まれた
聖霊を迎え入れたということを忘れてはいけない(Ⅰコリント3:16~17)
神の血を迎え入れたということを幸せに考えなければならない
〇 私たちは私たちの罪によって死なれた方をその身に帯びて、
    その方のいのちをその中で現そうとする
〇 主の恵みと真理が私たちの体の中に満ちあふれるようにしなければならない
    聖霊が証しして現れるようにしなければならない
    自分の中にある大きな権勢を忘れてはいけない
〇 私たちの肉体は主のために絶えず死に引き渡されるが、
    それはイエスのいのちを死ぬべき肉体に現すためである
※ 私たちは心に信仰をもった
   これが宝を土の器に入れたということである
   主イエスが臨まれるときまで宝を守らなければならない