2020. 11. 08 まことの礼拝と仕え (マタイの福音書6:19~24)
まことの礼拝と仕え
(マタイの福音書6:19~24)
神は
栄光を受ける方でおられる
その方が
宇宙を創造し、その中に万物を造り、(創1:1)
天に霊的なものを満たし、
それらから栄光を受けられる(詩8:1)
礼拝を通して栄光を受けられる(詩26:8~9)
神は霊でおられるし、「霊によって礼拝をささげなさい」といわれた
私たちは肉体を超越し、霊によって礼拝をささげる
霊によらなければ、それは偽りであり、いのちをもたない
神の失望は大きい(ヨハネ4:23~24)
いけにえの供え物は
イエスが最後である(Ⅰコリント5:7)
霊とまことによって礼拝をささげる
霊魂を天に届けようとしても、
心が霊魂を縛ってしまえば、宗教儀式となる(ヨハネ13:2)
それゆえ、
宝をささげなさいといわれた(マタイ6:19~20)
宝があるところに心もあるためである(マタイ6:21)
富(マモン)とは主人という意味である
それが心にあれば、主人となるし、なければ、しもべとなる
〇 礼拝はただひとりの主人に仕えることである
富のしもべとなった者が同時に主に仕えることはできない
献金をささげるというのは「マモン」をあきらめるという意味である
〇 宝を天にたくわえれば、その心は天にある
宝を地にたくわえれば、その心は地にある
神は霊であり、天におられる方である
〇 天は霊であり、
神の本体である
イエスをその本体のかたちと信じて頼る
※ イエスの中にいなさいというのは天に入って来なさいということである
礼拝は「自分の主人は天におられる」と認めるものである
神は唯一の主人でおられる