2021. 03. 14. 安息日と聖日 (マルコの福音書2:23~28)

安息日と聖日
(マルコの福音書2:23~28)

神は
聖なる方でおられる
その方は
栄光を受けるべき唯一の方であり、
聖徒から栄光を受けようとされる(ピリピ2:10~11)
礼拝は主に栄光をささげるものである(ヨハネ4:24)
礼拝をささげる者は聖なる方の前で聖くならなければならない(Ⅰペテロ1:13~16)
聖くなければ、主を見ることができない
律法は「安息日を聖く守りなさい、(創2:3)
聖くなりなさい」といったが、(出20:10~11)
新約教会の聖日は安息日の次の日である
イエスが十字架で死んでよみがえられた日を
聖日とし、主を覚える(ルカ24:1~7)
聖日の主人はひとりであるが、安息日と主日は
それぞれその性質が異なる(マルコ2:27~28)
安息日は創造者を覚える日であり、その方のために存在する
主日はよみがえられた主を覚える日であり、聖徒のために存在する(使20:7~12)
今、私たちは安息日のしもべではない
霊魂を救ってくださった主の血を飲み、肉を食べる(Ⅰコリント11:23~28)
聖霊が臨まれた五旬節は主日であった(使2:1~4)
それゆえ、自分の霊魂のために聖日を守らなければならない(へブル10:25)
○ 主日を聖く守ることによって救いを受けるわけではない
救いを受けた自分の霊魂の信仰を告白してこそ、
いのちを受ける
○ 主イエスの功労を認めなければ、救いを受けることはできない
主イエスの功労を認める者は
自分の罪を自白してバプテスマを受ける
○ 安息日を守ったとしても裁きを受けるが、
イエスの恵みを認めれば、救いを受ける
主の日が近づくほど、さらに聖く守らなければならない
※ 安息日は恐れの日であるために、服従するが、
主日は自由な者が礼拝をささげる日であるために、
これを信仰告白とし、喜びをもって栄光をささげる