2021. 09. 26. 子どもを受け入れなさい (マルコの福音書10:13~16)

子どもを受け入れなさい
(マルコの福音書10:13~16)

神は
永遠な父でおられる
その方は
人類の父であり、愛でおられる(Ⅰヨハネ4:8)
神の子となった者が背いて
放蕩息子となったとしても、忍耐強く待たれる(ルカ15:19~20)
子どもは大きな力をもたないで重荷となったとしても、
天の種である
止めないで、繰り返し祝福して成長させなさい
子どもは大人になるし、大人は歳を取る(Ⅰサムエル2:26)
それは良い木が育つようなものである
実を期待することができる
サムエルは幼いときから祈る子どもであった(Ⅰサムエル3:3~6)
神は彼を大きく用いられた
イエスは幼いときから御言葉を調べられた(ルカ2:41~47)
イエスは御言葉でおられるが、預言者の教訓を学ばれた
教会は子どもが将来、大きな働き手になるということを悟り、
真理と恵みによって養育しなければならない
国の力は子どもにある
教会の未来も子どもにある
それゆえ、イエスは子どもを繰り返し祝福された(マルコ10:16)
○ 教会は子どものために模範とならなければならない
子どもは常に大人から学んで育つ
子どもを見れば、その家の信仰を見ることができる
○ 大人は子どもの鏡となって、
この世を生きる知恵も学ばせるが、
霊的な天で生きる方法を学ばせなければならない
○ 恵みを受けた者の中には愛がある
愛は分け隔てなく、すべてを愛する
真理によって子どもを養育しなさい
※ 教会は母性をもつ教師となって、
子どもの霊魂を養育し、
子どもが立派な信者となるように導きなさい

 

2021. 09. 19. 夫婦の義務 (マルコの福音書10:1~12)

夫婦の義務
(マルコの福音書10:1~12)

神は
愛でおられる
その方が
人類を愛して、神の子とし、(ヨハネ1:12)
妻とされた(ホセア2:19~20)
夫婦は天の模型であり、(黙21:9~10)
天の調和である
神は人を造って「ひとつの体になりなさい」といわれた
これが男と女の調和である(創2:24)
男には妻が預けられた(マタイ1:18~20)
妻は男の重荷であり、十字架である
妻には夫が預けられた
夫は妻の重荷であり、十字架である(マタイ16:24)
十字架は不便なものであり、困難なものであり、刑罰である
夫婦は互いに気に入らなかったとしても、
ひとりで走る道を2人でゆっくりと進む(エペソ5:20~24)
神は聖なる方でおられる
人間は地獄の子であるが、
恵みと憐れみをもって嫁に行く
神は人間が神を知るときまで続けて耐えられる(マタイ20:27~28)
信仰はイエスの血の代価を通して
天の真理と地の不義を調和させるものである(ホセア2:21~23)
○ 神は常に耐えられる
弱い私たちの霊魂のために常に耐えられる
○ イエスは常に耐えられる
自分の血によって買い取った花嫁のために続けて耐えられる
○ 夫は妻のために、妻は夫のために耐えなければならない
妻を捨てるのは信仰を捨てるようなものである
夫を捨てるのも信仰を捨てるようなものである
夫婦の間においては主が仲介者となられた
※ 互いに性格が異なっていたとしても、十字架と考え、
血を流したゴルゴタの丘への道を上るように
無理やりにでも耐えて勝利しなければならない

2021. 09. 12. 力を互いに尊重しなさい(マルコの福音書9:38~50)

力を互いに尊重しなさい(マルコの福音書9:38~50)

神は
全能者でおられる
その方が
固有にもつ力をこの世に与えるために
御言葉を遣わされたが、その御言葉は力である(ルカ1:37)
神は御子にすべての力を与えられた(マタイ28:18~20)
御子は信じる者に力を与え、(マタイ10:1)
ともに働き、御言葉に伴うしるしをもって
御言葉を確かなものとされる(マルコ16:17~20)
神の力を受けようとするのは自分のためではなく、
他の人のためである(詩147:10~15)
力がなければ、実のないいちじくの木である(マルコ11:13)
主も他の人も用いることができない
神の力は伝えられるものである(ヨハネ1:46)
小さな種が育って100倍の実を結ぶように、
自分を通してすべての人が力ある者とならなければならない(Ⅰコリント4:20)
力を行うことを妨害するというのはつまずきを与えるということである
むしろ大きな石臼を首につけられて海に投げ込まれたほうがましである(マルコ9:42)
そうすれば、火の中でも自分の霊魂を救うことになる
福音は入って来たのちにすぐに分け与えるものである(マルコ16:15)
聖霊の力は受けたのちにすぐにこの世の果てにまで伝えるものである(使1:8)
○ 兄弟をねたむのは悪魔的である
手によっても、足によっても、目によっても罪を犯してはいけない
イエス・キリストの人はすべてひとつの体である
○ 教会は
イエス・キリストの体の器官である
力を受けるように互いに助け合わなければならない
○ 自分の役割に忠実でなければならない
他の人をねたんではいけない
他の人を妨害する者は地獄に行く
※ 互いに力を愛して
信仰を促しながら、

しっかりと望みに立とう

2021. 09. 05. 人の先に立ちたいと思うのならば (マルコの福音書9:33~37)

人の先に立ちたいと思うのならば
(マルコの福音書9:33~37)

神は
ただひとりの父でおられる
その方が
この世に御言葉を遣わされたのは(マルコ4:14)
御言葉によって御心といのちを伝えるためであった(ルカ11:28)
御心といのちを伝えるためには母性をもたなければならない
母性をもつ者は
最も偉大な者であるし、最も低い者である(創3:15~16)
幼子に仕える最も低い者であるし、(マルコ7:27~28)
すべての子孫を抱く大人である(ヨハネ19:26)
母性をもたなければ、絶対に指導者となることができない
根をもたない木のように、少しずつ枯れていく
私たちの信仰はまことの母性である
私たちが父の中にいるときに、
神も私たちの中にとどまられる(ヨハネ14:20)
母性は永遠に変わらない、いのちである(黙12:17)
神の御言葉は母性である
主イエスの愛も母性である
聖霊の賜物も母性である
無理やりに謙遜になることはできない
母性だけがまことの謙遜である
○ 王であっても母性をもたなければ、暴君となる
無知であったとしても母性をもつのであれば、王のような待遇を受ける
神から与えられた愛はこのようなものである
○ 最も高い方、主イエスが自分を低められた
最も高い御座に着く方が最も低い十字架を負われた
母性の根を深くまで下ろしてこそ、大きな木となる
○ 高い冠を願うのであれば、しんがりとなりなさい
自分の命を大きく考えれば、最も低いよみに行く
自分の命を捨てれば、天の栄光を受ける
※ 母性ある信仰をもとう
母性をもって教会を守ろう
教会で最も低い者となろう これが永遠のいのちである