2021. 10. 17. 主が用いるといわれた (マルコの福音書11:1~10)

主が用いるといわれた
(マルコの福音書11:1~10)

神は
万有の主人でおられる
その方が主人でおられるために、
その方が万有を用いるときに逆らうことができる者はいない(詩100:3)
人間の大きな弱点はこの地で自分がすべてのものを
所有する主人であると誤解するところにある(マルコ10:21)
主人はただひとりの方であり、全能な造物主であり、
神でおられる
神は生きていて実在する方であり、父でおられる
イエスは父の御心を行うために来られた(ヨハネ6:37~40)
神から命じられた働きをするために戒めとして来られた(ヨハネ10:18)
神の御言葉は神の戒めである(ヨハネ12:47~50)
神の戒めが肉体となって来られた(ヨハネ1:14)
それゆえ、
イエスがおられたところと行かれたところでは
神の戒めが現れた(ヨハネ8:21~23)
主が用いるといわれたのであれば、逆らうことはできない(マルコ11:3)
私たちの信仰はこの真理を悟るものである(使17:23~25)
ろばの子のように無能であったとしても
主が用いるといわれたのであれば、逆らうことができない
聖霊によって謙遜にその御名にひざまずき、従わなければならない(ヨハネ3:8)
○ 神に用いられなさい
命であっても、子どもであっても、物質であっても、
その方が用いるといわれたのであれば、用いられなければならない
○ 口では「主人でおられる」といいながら、
自分のものであるといって逆らうのであれば、不信仰である
むしろ「主よ! 私を用いてください」と願わなければならない
○ 神が主人でおられるのか、自分が主人であるのかをはっきりとさせなさい
金持ちが天国に入って行くことができないのは
自分が主人であるかのように振る舞うためである
※ 「主よ! 私を召してください
主よ! 私を用いてください
この世には自分のものはなく、あなたのものだけがあります」といいなさい