2022. 04. 24. イエスの名を信じなさい (ヨハネの福音書 1:1~13)

イエスの名を信じなさい
(ヨハネの福音書1:1~13)

神は
永遠の前からおられる
その方の
御言葉も永遠の前から
神とともにあったために、
神でおられる(ヨハネ1:1)
万物は御言葉によって造られた(へブル11:3)
その御言葉はいのちである(ヨハネ6:63)
いのちはこの世の光である(ヨハネ8:12)
その光の名はイエスであり、
この世を死から救う名である(マタイ1:21)
それゆえ、
イエスの名を信じて心に迎え入れれば、(ヨハネ1:12)
神の子となる権勢が与えられる(ローマ8:16~17)
その人は血や人の欲によって生まれたのではなく、
神の御心によって生まれたのである(ヨハネ6:38~40)
神はその人に印を押し、保証として
心に聖霊を与えられる(Ⅱコリント1:21~22)
聖霊は助け主でおられるし、助け主はキリストの霊である(ヨハネ14:16)
キリストは主の職分であり、死と復活と裁きである(ヨハネ10:17~18)
聖霊はその功労に従って働かれる(ヨハネ15:26)
○ 神を信じる者はその御子も信じる
その方は御言葉として現れた
御言葉は神の御心である
○ 神の御言葉の名はイエスである
その名を迎え入れるというのは
神の御心を心に迎え入れるということである
○ 御言葉はいのちの光であり、
霊魂、関節、骨髄まで照らす
その光は栄光であり、癒しの光である
※ 私たちが信じるのはその名である
その名は神が天でなされた御心そのものである
信仰をもつというのは救いを受けるということである

2022. 04. 17. 信じる者にしるしが伴う (マルコの福音書16:17~20)

信じる者にしるしが伴う
(マルコの福音書16:17~20)

神は
生きておられる
その方が
自分が生きているということをさまざまな方法によって知らせた(へブル1:1)
神は全能な方でおられるし、陶器を作る者のようである(ローマ9:21)
この世を創造し、(創1:1)
人を生きた霊とされた(創2:7)
箱舟によって8人を救い、(Ⅰペテロ3:20)
モーセを通してイスラエルを出エジプトさせ、(出7:1~2)
ヨシュアを通して戦争に勝利させ、(ヨシュア1:1~6)
エリヤを通して雨を止ませ、
3年6ヶ月ぶりに雨を降らせた(Ⅰ列18:41~46)
そして、直接、ユダヤの地に生まれ、(マタイ2:1~2)
神とその国を見せ、(ヨハネ14:8~11)
死んだのちによみがえり、(使2:31~32)
聖霊を遣わして、自分が生きているということを証しし、(使1:8)
信じる者に証しのしるしを与えられた
それゆえ、
信じる者にはしるしが伴う(マルコ16:17)
弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた
主は彼らとともに働き、
御言葉に伴うしるしをもって
御言葉を確かなものとされた(マルコ16:19~20)
○ 軍人が銃によって武装するように、
信じる者には力としるしが伴う
○ 神の国は言葉ではなく、
力によって語られなければならない
○ 神の国が私たちに臨んだのであれば、
悪霊は当然に離れて行く
力がないというのは誇ることではなく、悲しむことである
※ 聖霊を受けよう
そして、力を受けよう
聖霊の現れが与えられるのは益となるためである

2022. 04. 10. 天国の福音を信じなさい (マルコの福音書16:12~16)

天国の福音を信じなさい
(マルコの福音書16:12~16)

神は
常に生きておられる
その方がこの世のために力を遣わし、
さまざまな力によって自分を現し、(マタイ9:1~8)
関心を示された(ヨハネ3:16)
神の中におられる方は御言葉である(ヨハネ1:1~5)
御言葉は完全な人格、知恵、力である(Ⅰヨハネ1:1~4)
イエス・キリストは力によって天を現し、御心を現された(マルコ9:1)
イエスはその方の御名であり、(マタイ6:9、ピリピ2:10~11)
神の御座の栄光であり、永遠のいのちである
キリストは職分であり、委任された権限である(ヨハネ1:20)
キリストは人として現れ、(マタイ11:2~6)
苦難を受け、力としるしを現された
キリストは十字架で死ぬ権勢、死んだ者の中からよみがえる権勢、
最後に裁く権勢をもつ(マタイ28:18)
万王の王のような職分である(Ⅰテモテ6:15)
神は創造した万有をイエス・キリストの手に預けられた(へブル1:2)
イエス・キリストは神の血によって買い取られた者を救われる
苦難を受けたのちに、その名はパラダイスに行った(ルカ23:43)
キリストは血を流して墓に納められた(ルカ23:50~56)
そののちには助け主の聖霊がキリストの働きをなさる
○ 聖霊がなさる働きはキリストの働きである
キリストは聖霊によってよみがえり、現れ、
この世の終わりまでともにされる
○ 助け主とキリストはひとつである
よみがえったのちには御言葉が働く
助け主、キリストには完全な力がある
○ よみがえった真理がこの世に現れたが、
弟子たちは信じなかった
神はそれを責められた
※ キリストの死はユダの地で起こったが、
復活はこの世の果てまで起こる
どこであってもその方に会えば、バプテスマを受ける

2022. 04. 03. イエスの体 (マルコの福音書15:42~47)

イエスの体
(マルコの福音書15:42~47)

神は
永遠に生きておられる
その方が
ふところにおられた御子をこの世に遣わして、
人類が受ける刑罰を代わりに受けさせた(ローマ6:8~10)
それゆえ、御子は十字架で
血を流して死なれた(ローマ6:11~13)
その方が死なれたのちに、
弟子のひとりであるヨセフがピラトに
イエスの体の下げ渡しを願った
その体は死体ではなく、「ソマ」であった
それは王の死んだ体という意味であり、生きている者のように呼ばれた(マタイ27:57~61)
ヨセフはピラトの許しを受け、イエスの体を亜麻布に包み、
自分の墓に納めた
主は死なれたが、ヨセフは生きている者のように迎え入れた
これは偉大な福音であった
神の御子は死なれたが、その名は生きていて、(マタイ28:6~7)
私たちの霊魂に迎え入れられている
イエスはよみがられた
これは真理である(ヨハネ20:19~20)
これと同じように、聖霊が私たちを生かす
○ 人間の霊魂は墓である
死が支配している墓に誰を迎え入れるのか
イエスの名は死体ではなく、体である
○ その方は十字架で死なれたが、生き返られた
その名は生きているし、御言葉は生きている
イエスの体を十字架につけておかないで、迎え入れよう
○ 聖霊によって迎え入れ、信仰によって迎え入れよう
死んだ者ではなく、生きているいのちを迎え入れよう
その方は私たちの中でよみがえられる
※ まことの聖徒は主を迎え入れる
死体ではなく、体を迎え入れる
その方は永遠に生きておられる