2023. 04. 30. イエスに従う道、献身的な弟子の道 (マタイの福音書8:18~22)

イエスに従う道、献身的な弟子の道
(マタイの福音書8章18~22節)

神は
まことでおられる
その方が
ひとり子を遣わして、この世を救われる(ヨハネ3:16)
神の御子がこの世に来たときに
人の子として、貧しい者、権力をもたない者として現れた
この世の人々も避けようとする最下層の人の子として現れた(マタイ11:8)
その方は枕する所もない者、(マタイ8:20)
期待するほどの機会を得ることもできない者であった(マタイ25:42~43)
その方に従おうとするのであれば、覚悟しなければならない(マタイ16:24)
貧しさ、疲労、孤独、この世からの疎外を覚悟しなければならない(ルカ6:22)
イエスはこの世の望みを与えるために来られたのではない
生まれ変わらせて天に連れて行くために来られた
天に行く者はこの世の服を完全に脱ぎ捨てなければならない(ヨハネ14:1~3)
所有するものも、もっていくものもない霊魂が天に行く
金持ちが天国に入って行くのはらくだが針の穴を
通るように不可能なことである
バプテスマは肉体の欲をすべて葬り、(ガラテヤ5:24)
生まれ変わった新しい者となって天に属するようにするものである(ヨハネ3:3~5)
人々をこの世に導いていった律法や預言者は終わった(マタイ11:13)
神は天に導く恵みの福音によってだけ私たちを召される
◎ イエスを信じる理由を悟りなさい
罪から自由を得て天で生きるというのがその理由である
イエスは血を流してその道を開かれた
◎ 欲や理性によってはイエスに従うことができない
ただ信仰によってその望みをもつことができる
イエスを信じることによって肉体の益を得ようとしないで、霊的になろう
◎ イエスは身に着けていたものをすべて脱いで与えられた
木につけられ、肉体をもって呪いを受けられた
しかし、よみがえって天に入って行かれた
※ イエスを信じるのはこの世でよく生きるためではない
バプテスマによってこの世を離れ、主と結びつく
よみがえられた主に従おう

2023. 04. 23. 主を驚かせたひとりの百人隊長の信仰(マタイの福音書8:5~13)

主を驚かせたひとりの百人隊長の信仰
(マタイの福音書8章5~13節)

神は
万有の主でおられる
その方が
万有を創造されたが、その方には不可能なことがない(へブル11:2~3)
ないものをあるもののように呼ぶ方が病気を癒される
それは神の愛である(出15:26)
その愛を受ける唯一の資格は信仰である
神に対して少しも疑いがあってはいけない(マルコ9:23)
この世でだまされてきたために、神にだまされると考え、(ヨハネ8:44)
神を疑うのであれば、それによって罪人となる(マタイ14:31)
肉体の規定を犯したとしても赦しを受けるが、(マタイ12:31)
神を疑う者は裁きを受ける(マタイ12:32~33)
疑う者の霊魂は肉体が死んだのちに底知れぬ所に行く
神は信仰をもたせるために御言葉を与えられた(ルカ1:37)
私たちの信仰は御言葉を信じて従うものである(創15:6)
御言葉を聞きながらも物足りなく感じて他のものを求めるのであれば、
神と何の関係もなくなる
霊魂は御言葉を必要とする(ヨハネ6:63)
御言葉だけが生かす霊であり、いのちである
主が求められるのは信仰である(ヨハネ11:25~26)
御言葉を完全に信じる信仰である
◎ 聖霊は信じる者にだけ入って行って、
その中で働かれる
御言葉によって力をもって働かれる
◎ 霊魂には目に見える人や手が必要なのではなく、
ただ御言葉、真理が必要である
御言葉には不可能なことがない
◎ 御言葉には癒しの力、創造の力がある
御言葉を求めなさい、そして、従いなさい
御言葉を疑わなければ、力が現れる
※ キリスト教は啓示の宗教、御言葉の信仰である
力がないというのは御言葉がないということである
霊魂に御言葉を満たしなさい、いっぱいに満たしなさい

2023. 04. 16. 霊的にきよくなることを要求するキリストの癒し (マタイの福音書8:1~4)

霊的にきよくなることを要求するキリストの癒し
(マタイの福音書8章1~4節)

神は
愛でおられる
その方が
この世を愛して、この世に
すべてを与えようとされた(ヨハネ3:16)
神は不自由なところや足りないところがない方でおられる(使17:24~27)
それゆえ、
その方が愛するひとり子をこの世に遣わされたというのはそれくらい
この世を愛されたということである(Ⅰヨハネ1:1~4)
その方はこの世にいる者が罪人であったとしても、恵みを施された
御子を惜しむことなく差し出された方が
何を惜しまれるであろうか
神はまことにすべてを与えようとされる(マタイ20:28)
神に「願われることは何でしょうか?」と尋ねるのであれば、
その方は「あなたがきよくなることである」といわれる(マタイ8:3)
らい病は肉体を汚した不幸な病気であるが、
神は霊魂を汚した不幸な罪が
きよくなることを願われる(ヨハネ6:53~55)
それゆえ、
神に求めることをためらってはいけない
神はイエスの中にいる人類に与える答えを準備された(マタイ6:8)
イエスはすべての願いの答えでおられる(ヨハネ14:13~14)
◎ 求めなさい、そうすれば、与えられる、捜しなさい、そうすれば、見つかる
神が与えようとされたものはすべて与えられた
◎ 乳飲み子が母親の乳を吸おうとするように、
私たちは霊と肉が求めるものを告白しなければならない
神は私たちが罪や病気から解放されることを願われる
◎ 神の救いの働きは神が願われることである
私たちは主を喜ばせるためにその方に出て行く
神の愛を受けるためにその方に出て行く
※ 私たちの信仰は修養を積むものではない
神が願われる通りにきよくなるものである
感謝をもってその恵みを受けなければならない

2023. 04. 09. 復活の初穂 (コリント人への手紙第一15:20~26)

復活の初穂
(コリント人への手紙第一15章20~26節)

聖徒の復活は
神の救いの働きを
完成させる、絶対不可欠な要素である
人間は神に対する犯罪と堕落によって
罪と死という強力で致命的な足かせに縛られている
これによって
未来に対する不幸な予感と暗やみの中で
恐れをもって生きている
しかし、キリストが墓の中から生き返り、
よみがえり、天の栄光に入って行かれた
それゆえ、復活は不可能なものではないし、
イエスが許された者にとって現実となる
イエスに属する聖徒は
肉体がこの地で死んだとしても、
キリストがこの世に再び来られるときに
その方とともに永遠な国で生きるために
肉体をもって復活するようになる
忠誠と愛をもって自分をまことにキリストにささげる、
教会と聖徒は
復活の初穂でおられる主に従って
最後の収穫の実となる
救いという神の計画に従って、
存在論的にはっきりと生き返り、
永遠な勝利にあずかり、
永遠な主の国をなすようになる

2023. 04. 02. キリストの最後の警告 (マルコの福音書14:53~65)

キリストの最後の警告
(マルコの福音書14章53~65節)

神の御子であり、
キリストであるイエスが
この世に来られたというのは
人間にとって最も重要な事実である
それは
人間が生まれたときから
罪と死の権勢の下に閉じ込められ、
永遠な滅びに向かっているためである
人間は
サタン的な属性に似ているという致命的な弱点をもつ
自分でも知らないうちに神に背き、神を冒瀆する
それにもかかわらず、神は
私たちを呪いや不幸から救うために
御子を遣わされた
御子は私たちの罪の責任を負い、
永遠な死の代わりとなり、
いけにえとして十字架で死なれた
この世に来たイエスは
私たちを救うキリストでおられるのと
同時に
神が私たちに遣わした最後の警告である
その警告は
生涯を通して常に覚え、
心や生活に刻んでおかなければならない、
決定的な神の啓示であるし、
救いに招く声である