2020. 08. 09 神の御心に従おう (マタイの福音書16:21~28)

神の御心に従おう
(マタイの福音書16:21~28)

神は
父でおられる
その方が
この世に御子を遣わされた(ヨハネ3:16)
御子はただ父の御心通りに来て、(ヨハネ6:37~40)
父から与えられた戒めに従って、父の御心を成就された(ヨハネ10:17~18)
天には栄光、誉れ、(ヨハネ1:14)
神の幸せが満ちている
天から離れてよみ(宇宙)に下りて来た方は(へブル2:9)
虐待、貧しさ、誤解、不幸をすべて味わわれた
誰がその方の生涯をうらやましがるであろうか(イザヤ53:1~4)
よみという宇宙の中にあるこの世には不幸、
苦しみ、呪い、死、硫黄の火だけがある(コロサイ1:13)
イエスはここに入って来られた
その方はユダヤ人としてお生まれになったが、ユダヤ人でも
アブラハムの子孫でもなかった(ヨハネ8:58)
孤独なひとりの方でおられた(ヨハネ8:29)
結局、十字架で死になさいという戒めまで受けられたし、
必ずそれを成就しようとされた(マタイ16:21)
弟子は諫めて「そのようなことが起こるはずはない」といったが、
その場でサタン(神の敵)となった
イエスは「下がれ、サタン」と
りつけた
〇 神のことを考えないのはサタンである
人のことを先に考えるのもサタンである
〇 誰でも主に従おうとするのであれば、その御心に従いなさい
主を慰めて同情するのはサタンである
〇 主に従おうとするのであれば、自分を捨てて
自分の十字架を負って死になさいという戒めを受けなければならない
神の御心通りにしないのであれば、親も子どもも
すべて神の敵となる(マタイ10:34~36)
※ 主に従い、その御心に従おう
命を尽くして主の戒めに従おう

2020. 08. 02 真理と偽り (ヨハネの福音書8:43~47)

 

真理と偽り
(ヨハネの福音書8:43~47)

神は
まことでおられる
その方が
この世に現そうとされたのはまこと、すなわち真理であった(ヨハネ8:32)
神の御言葉は義から出て来るために、まことである
神の霊はまことであるために、暗やみをもたない(ヨハネ3:21)
神が御言葉を遣わされたが、その御言葉は真理である
イエスは真理でおられる(ヨハネ14:6)
神の御子でおられるために、まことでおられる父と同じように、
永遠のいのちでおられる(ピリピ2:6~8)
それゆえ、
神に属した者はまことである御言葉を聞いて従う(Ⅰヨハネ4:6)
神の御言葉を聞かないのは
神に属さないためである(ヨハネ8:38)
悪魔は初めから偽りの父である(ヨハネ8:44)
悪魔から出た者は悪魔の欲に従って偽る
悪魔は初めから人殺しであるし、その惑わしは人殺しである
滅びる者は真理を信じない(Ⅱコリント4:3)
神の真理と悪魔の惑わしは永遠に異なる
聖霊の御言葉は真理である
聖霊は真理の霊でおられる(ヨハネ14:17)
〇 自分が真理に属した者であるのか、
悪魔の惑わしに陥った者であるのか、分別しなさい
神に属した者は真理を悟る
〇 悪魔に属した者は初めから偽る
狡猾な姿だけを見て従えば、滅びる
悪魔の目的は人殺しである
〇 神の御言葉は真理である
イエス・キリストによってこの世に現れた
聖霊がその御言葉を証しされる
※ 偽りにだまされてはいけない
偽りは悪魔から出て来るし、悪魔の霊である
御言葉によって霊を分別しなければならない

2020. 07. 26 イエスを売ってはいけない (マルコの福音書14:43-50)

イエスを売ってはいけない
(マルコの福音書14:43~50)

神は
永遠な父でおられる
その方が
イエス・キリストを御言葉として遣わされたのは(ヨハネ1:14)
この世を救うためであった(ヨハネ3:16)
救いを受けた霊魂を天に連れて行くためであった(ヨハネ14:1~3)
神は御子をこの世に遣わすときに、
王宮や金持ちの家に遣わさないで、
ナザレ人として遣わされた
最も低いところ、疎外されたところ、捨てられたところに遣わされた(マタイ2:23)
神の御言葉、すなわち真理は低いところからはじまり、
全人類に宣べ伝えられた(マタイ11:2~6)
神は謙遜な者を選び、高ぶる者に
敵対されたが、このために罪人の友となられた(Ⅰペテロ5:5~6)
イスカリオテ・ユダは主を迎え入れながらも、主を知らなかった
偉大なしるしを見ながらも、復活を見ることができなかった
信仰よりも良心を重視したために、
イエスを探すよりも良心の抑圧を受けて死んだ
教会員であったとしても二心を抱く信者はイスカリオテ・ユダのような者である
教会の外ではこの世と親しくするが、
教会の中では主と口づけをする(ヨハネ6:70~71)
〇 自分の良心を守るといいながら信仰を守らない者は
     宗教人である
    どちらにも属さないし、自分の義だけをもつ
〇 神にもこの世にも属さない者、
    イエスを売りながらもイエスに口づけをする者は悪魔である
    聖霊の導きはただ真理に従わせる
〇 宗教人になってはいけない
    宗教人になれば、イスカリオテ・ユダのように良心が抑圧を受けるために、
    信仰に至ることができない
※ イエスに口づけをしながらこの世と妥協してはいけない
    これは悪魔がすることであるし、のちに捨てられる
    信仰に移された者としてバプテスマを受け、霊的な者となろう

2020. 07. 19 血を流すまで罪と戦いなさい (へブル人への手紙12:1-13)

血を流すまで罪と戦いなさい
(へブル人への手紙12:1~13)

神は
義でおられる
その方は
善悪を分別する方であり、不義を赦さないで、
永遠に滅ぼすために裁く(へブル10:30~31)
神は義によって御心を定め、(マタイ3:15)
ふところにおられる御子をこの世に遣わされた
イエス・キリストが現れたのは父の御心を
なすためであった(ヨハネ1:18)
神の御心はその名にも現れているように、(マタイ1:21)
自分の民を罪から救うことである
よみという宇宙は堕落した天使を閉じ込めたところである(Ⅱペテロ2:4)
その最後は刑罰を与える火の池である(黙20:13~14)
宇宙というよみにはいのちも望みもない
現在、よみの主人は「ベルゼブル」という悪魔である
「ベルゼブル」とは汚物の家の主人という意味である(マタイ12:24)
主イエスの福音は
「よみから出て来なさい、
汚物の家から脱け出しなさい」という、権威ある命令である(マタイ4:17)
イエスはよみの門を開いてよみがえったキリストであり、
救いの門であり、天国の門でおられる(マタイ16:17~18)
〇イエスの血は天国の門であり、いのちである(ヨハネ10:9)
   聖霊は救いを受けた者をその門に入って行かせる
   天の下でこの御名のほかに、人間に救いを受けさせる名はない
〇その名を受け、よみがえられた主と結びつき、
   神の国、永遠のいのちに入って行く
   聖霊に従って生きるというのはその道を歩むということである
〇よみから永遠のいのちに移って行く門はひとつだけである
    それはバプテスマである
    バプテスマはキリストと結びつく唯一無二の権勢である
※ 聖霊の名によってバプテスマを受ければ、霊的な人となる
   そのために罪と戦わなければならない
   血を流すまで戦って勝利しなければならない(へブル12:4)

2020. 07. 12 羊の門でおられるイエス (ヨハネの福音書10:7-18)

羊の門でおられるイエス
(ヨハネの福音書10:7~18)

神は
愛でおられる
その方が
御子をこの世に遣わされたのはこの世の救い主とする
ためであった(ヨハネ6:39~40)
イエスにはこの世を救う責任がある(ヨハネ10:15~18)
天は虚空ではなく、霊であり、水晶のような実存である
神は宇宙よりも無限に大きいし、永遠でおられる(ヨハネ10:29)
宇宙は虚空であるために、むなしくて暗い(創1:2)
宇宙には死の権勢がある
霊的には絶望だけがある(エペソ2:1~3)
それゆえ、霊は死んで、裁きと刑罰を待つ(黙20:12~15)
イエスは私たちを救うために戒めを受けられたが、(ヨハネ10:38~39)
それは私たちの代わりに死ぬこと、(マタイ20:28)
そして、私たちをよみの権勢、宇宙から救うことであった
私たちが救いを受けるというのは私たちの霊魂が天に
移されるということである(エペソ2:4~9)
バプテスマを通してよみから足を洗い、
霊に属した者、天に属した者となる(使19:2~7)
天に入って行く門はただひとつである(ヨハネ10:7)
イエス・キリストである
それゆえ、イエスを仲介者という(へブル8:6)
〇 バプテスマはいのちを得る悔い改めである
    聖くなり、よみから移され、天に入って行くものである
〇 イエスを超越して天の恵みを受けようとする者は
    天で盗人、強盗として扱われる
    神の義によってだけ入って行くことができる
〇 十字架につけられ、無視を受けた主の死が
    天に入って行く天国の門である
    バプテスマは天国の門に入って行く霊的な体験である
※ 物質的に豊かになったとしても、天国に入って行くことはできない
    自分の功労によっても入って行くことはできない
    ただイエス・キリストによって入って行く

2020. 07. 05 木につけられた方を見なさい (ヨハネの福音書3:14-18)

木につけられた方を見なさい
(ヨハネの福音書3:14~18)

神は
愛でおられる
その方が
この世のためにひとり子を遣わされた(ヨハネ1:18)
神の御子がこの世に現れたのは
悪魔の働きを滅ぼすためであった(Ⅰヨハネ3:8)
このためにその方が木につけられた(ヨハネ3:14~15)
木につけられた者を呪いを受けた者といった(ガラテヤ3:13)
どうしてその方が呪いを受けなければならなかったのか?
これは神の愛であった(ガラテヤ2:20)
私たちが受けなければならなかった呪いを、(ガラテヤ3:10~11)
イエスが代わりに受けられた
これを認める者が信じる者であり、
救いを受けた者である(Ⅰコリント1:18)
救いを受けた者は裁きを受けないで永遠のいのちを得る
裁きを受ける者は自分の罪によって裁きを受ける
人類は祖先から罪人であるし、この罪を原罪という
イエスは私たちの代わりに刑罰を受け、
私たちの霊魂を生かして永遠のいのちを得させようとされる
イエスが木につけられたのが自分の問題であるということを
悟り、信じ、悔い改め、バプテスマを受ける(使2:38)
〇 バプテスマは罪人の身分を捨てて、十字架につけられたイエスと
    結びつき、復活に至ろうとするものである
    復活にあずかる者は永遠のいのちを得る
〇 十字架につけられた方と関係がなければ、
    すでに裁きを受けたのであり、
    その霊魂は地獄の硫黄の火の池に入って行く
〇 バプテスマは救いのしるしである
    霊、魂、体、全人格が罪から救いを受けたというしるしである
    聖霊がこれに印を押して保証される
※ イエスの人はこれを告白して、
    聖霊の証しを受ける
    聖霊を受けた者はその賜物に満たされる

2020. 06. 28. イエスを知ろう (ヨハネの福音書4:1~14)

2020. 06. 21. イエスを恥ずかしく考えてはいけない (マタイの福音書26:69~75)

2020. 06. 14. 御言葉が神でおられる (ヨハネの福音書1:1)

2020. 06. 07. 十字架の力 (コリント人への手紙第一1:18~25)