2023. 06. 11. 憐れみを施すための安息日 (マタイの福音書12:1~8)

憐れみを施すための安息日
(マタイの福音書12章1~8節)

神は
父でおられる
その方が
この世に御子を遣わされた
御子はこの世の主人でおられる(へブル1:2~4)
その主人を見つけるのがいのちである
切実なる神の御心は
それぞれ自分の主人を見つけなさいというものである(ヨハネ10:11)
不信仰の主人は悪魔である(ヨハネ8:44)
まことの信仰の主人は万有と万物の主人である、(ヨハネ10:29)
イエス・キリストでおられる
それゆえ、イエスを主と告白する(Ⅰコリント12:3)
しかし、
人々は律法と儀式の奴隷となって、(Ⅰコリント15:56)
主よりも敬虔さに執着する(マタイ23:13)
それゆえ、
信仰があるように見えるが、
主人をもたない
教会を愛するように見えるが、
主人に逆らっている(マタイ23:16~21)
聖霊は私たちの主人でおられる
◎ 体をもって礼拝に参加するが、主人をもたない
主人をもつのであれば、体、心、霊魂が
主人に集中する
◎ 献金をささげて献身しているが、主人をもたない
主人をもつのであれば、
主人に従うし、感謝をささげる
◎ 教会の中で職分をもって忙しく働くが、
主人に従わないで、
自分の感情や喜びをもって働く
※ 私たちはただ主人を喜ばせる者である
命を差し出したとしても、主人を喜ばせる
肉体的に損をしたとしても、主人を喜ばせる

2023. 06. 04. 神は謙遜な者にだけ自分を現される (マタイの福音書11:25~30)

神は謙遜な者にだけ自分を現される
(マタイの福音書11章25~30節)

神は
いのちの父でおられる
その方が
いのちを与えるために御言葉を遣わされた(ヨハネ1:14)
御言葉は肉体となって血を流した(へブル9:22)
その方はまず預言者を遣わして予め語られた(マラキ3:1)
そして、語られた通りに、
人の子としてこの世に現れた(ヨハネ1:18)
その方は自分のいのちを、
罪によって死んだ私たちに飲ませた
そして、3日後によみがえって天に行き、(使2:32)
父に求めて、助け主の聖霊を遣わされた(ヨハネ16:7~14)
神は御言葉によって、
御子によって、
聖霊によって私たちの霊魂の戸の前まで来られた
その方の前に出て行く者だけが救いを得る(ヨハネ3:3~8)
その方が私たちの心まで来られたが、次は私たちの霊魂が
バプテスマを受けてその方に出て行かなければならない(マタイ28:19~20)
バプテスマは徹底的に古い人を悔い改めた者が受ける、(使2:38~39)
救いのしるしである(Ⅰペテロ3:21)
聖霊がこれを保証される(Ⅰヨハネ4:12~15)
◎ 神に向かって激しく攻めなければならない
攻める者だけが天に入って行く
徹底的に悔い改め、この世と決別し、その方に行く
◎ イエスは罪人を招くために来られた
罪人は律法の下で死んだ者である
イエスは死んだ者を生かすために来られた
◎ イエスの人は完全に変えられた者である
私たちは肉体の命を頼らないで、復活を信じる
主イエスの賜物はとても大きいし、栄光に満ちている
※ イエスの人になろう
私たちの体につけられたキリストの痕跡がバプテスマである
自分の霊魂のために力を尽くさなければならない

2023. 05. 28. 聖霊がこの世にその誤りを認めさせる (ヨハネの福音書16:1~11)

聖霊がこの世にその誤りを認めさせる
(ヨハネの福音書16章1~11節)

聖霊は
この世の罪と不義を罪に定め、その誤りを認めさせる
これによってイエス・キリストの主権的な権勢、栄光、
義、真理を
同時に証しする
イエスがよみがえって天に上られたのちに
助け主としてイエスの代わりにこの地に来た聖霊は
五旬節以降のすべての時代の弟子たちに臨み、
使命をもってキリストの救いの福音を証しする者の中で
さまざまな力や賜物を与え、その道を導く
聖霊は本来、
三位の中の一位として創造主であり、
救いを受けた霊魂に新しいいのちを与える、
最上の力をもつ神でおられるが、
助け主として弟子たちに臨むときには
福音の証しの働きの現場で彼らを助ける
聖霊はキリストの義と栄光を宣言して証しする
そして、それを根拠として、
すべての不義と偽りを行う霊魂に
その誤りを認めさせ、滅びの危機を警告する
そのようにして罪人を悔い改めさせ、
イエス・キリストに立ち返らせ、従わせる
それによって救いを得させる
結局、聖霊は
救いの福音を宣べ伝える弟子たちの働きを助け、
悪い者から加えられる迫害と苦難に耐えなければならない弟子たちが
勇気を失わないように、
慰めて励ます
聖霊は慰めを与える方、イエスが約束された助け主でおられる

2023. 05. 21. 神は最後の日にあなたを立証される (マタイの福音書10:24~33)

神は最後の日にあなたを立証される
(マタイの福音書10章24~33節)

神は
その名が聖い方でおられる
その方が
私たちに信仰を与えられたが、それはその方の戒めである(ヨハネ14:15~16)
与えられた戒めを目で見ることはできないが、
私たちの霊魂は知る(ヨハネ14:17)
神から与えられたものをこの世は見ることができないが、
信じる者は体験するし、ともにしている(マルコ16:14~17)
この世は目の前に現れるものだけを知るが、
私たちは目の前に現れない天を知る
イエスは人の目で見ることができない、(Ⅱコリント4:3)
神の本体のかたちでおられる(Ⅱコリント4:4)
私たちはこれを信じる(ヨハネ7:38~39)
神はイエスをこの世に見せられたが、この世は信じない
しかし、私たちはイエスを信じるし、
それによってこの世から嘲笑を受ける(マルコ15:24~32)
この世は私たちが信じるものを愚かだと考える(Ⅰコリント1:18)
この世は肉体を殺したとしても霊魂を殺すことができない(マタイ10:28)
神は霊魂まで裁く方でおられる(ヨハネ3:17~18)
私たちはこの世が見ることができない方を証しする
聖霊によってだけ証しすることができる(使1:8)
◎ 人々の前でイエスを見せなければならない
イエスがなさった働きは歴史的なものであるために、この世もそれを知る
その方がなさった働きは救いの働きであるということを証ししなさい
◎ イエスは神の御子であり、
死んだ者の中から生き返ったキリストでおられる
それを証ししなさい
◎ この世が知ることができない方を認めるというのがそれほど恐ろしいのか
人々の前で主を知らないというのであれば、主もその人を知らないといわれるし、
主を認めるというのであれば、主もその人を認められる
※ イエスを知らないといってはいけない
イエスの復活を証ししよう
その方が救い主でおられるということを聖霊によって証ししよう

 

2023. 05. 14. 避けられない教会への迫害 (マタイの福音書10:16~23)

避けられない教会への迫害
(マタイの福音書10章16~23節)

神は
霊でおられる
その方が
肉体をもった人に現れて、主になろうとされたが、
この世はその方を知ることができなかった(ヨハネ4:23~24)
この世は混沌とした地から出て来たために、調和をなすことができない
互いに排他的であるために争う(創4:4~12)
常に強い者だけが生き残るのがこの世である
しかし、強い者さえもさらに強い方から刑罰を受ける(へブル9:27)
私たちはこの世に属さないために、
この世から憎まれる
私たちはただ神に属するために、
神と同じように、この世に理解されない(Ⅰヨハネ4:5~6)
宗教はこの世に属するために、この世から歓迎される
イエスの教会はこの世に属さないために、この世から憎まれる(ヨハネ8:23)
それゆえ、
神の知恵によって身を処さなければならない(マタイ10:16)
教会はこの世の権威と戦わない
肉体はこの世の権威に属するために、それに従う(ローマ13:1~4)
霊魂は天に属するために、天に従う(ヨハネ3:3~8)
神のものは神に返すし、
カイザルのものはカイザルに返す
◎ 迫害がないことを祝福と考えてはいけない
祝福は迫害とともに受ける
◎ イエスの教会の歴史は血の足跡である
私たちの最高の望みは殉教である
殉教する者は第一の復活にあずかる
◎ イエスの福音のために首をはねられれば、
義の冠、いのちの冠を受ける
私たちは冠を受けるために走っている
※ 迫害を恐れたり心配したりしてはいけない
イエスも迫害を受けて血を流された
私たちも血を流すまで耐えなければならない

2023. 05. 07. キリストのあわれみの働き手たち (マタイの福音書9:35~38)

キリストのあわれみの働き手たち
(マタイの福音書9章35~38節)

神は
羊飼いでおられる
その方が
人類を羊として飼う(詩23:1~4)
羊は愚かであり、羊飼いなしに生きることができない(詩23:6)
羊飼いが緑の牧場、憩いの水のほとりに導き、
食べさせ、水を飲ませなければならない(ヨハネ10:11)
羊飼いがいない羊は道に迷って、(ヨハネ10:4)
狼の餌になってしまう(マタイ7:15)
それゆえ、
イエスは血によって買い取った霊魂を
自分の羊といわれたし、(ヨハネ10:8~9)
弟子たちに「私の羊を飼いなさい、牧しなさい」といわれた(ヨハネ21:15~17)
「私をまことに愛するのであれば、私の羊を
飼って牧しなさい」といわれた
羊飼いがいない羊は主の目にも無残に見える
私たちの信仰には導く者がいなければならない(Ⅰペテロ5:2~7)
導く者がいない羊は常に危険にさらされる
いつどのように試みに遭うのか、滅びるのかもわからない(マタイ6:13)
イエスは大牧者でおられる
イエスのしもべは羊飼いとなって主の羊を飼う
◎ 信じる者は主の羊であり、羊飼いに従う
この世にいる間も羊飼いに従わなければならない
牧師は大牧者から委任された羊飼いである
◎ 牧師は主の羊に牧草と水を与える
信仰をもったといいながらも自分の信念に従うために、
羊飼いがいない羊となる
◎ 信じるといいながらも高ぶり、混濁し、
羊飼いがいない霊魂となる
この世には狼があふれているために、霊魂は危険にさらされる
※ 羊飼いは良い牧草を食べさせる
毒草を食べて死んでいく霊魂がどんなに多いであろうか
道に迷ってさまよう者がどんなに多いであろうか

2023. 04. 30. イエスに従う道、献身的な弟子の道 (マタイの福音書8:18~22)

イエスに従う道、献身的な弟子の道
(マタイの福音書8章18~22節)

神は
まことでおられる
その方が
ひとり子を遣わして、この世を救われる(ヨハネ3:16)
神の御子がこの世に来たときに
人の子として、貧しい者、権力をもたない者として現れた
この世の人々も避けようとする最下層の人の子として現れた(マタイ11:8)
その方は枕する所もない者、(マタイ8:20)
期待するほどの機会を得ることもできない者であった(マタイ25:42~43)
その方に従おうとするのであれば、覚悟しなければならない(マタイ16:24)
貧しさ、疲労、孤独、この世からの疎外を覚悟しなければならない(ルカ6:22)
イエスはこの世の望みを与えるために来られたのではない
生まれ変わらせて天に連れて行くために来られた
天に行く者はこの世の服を完全に脱ぎ捨てなければならない(ヨハネ14:1~3)
所有するものも、もっていくものもない霊魂が天に行く
金持ちが天国に入って行くのはらくだが針の穴を
通るように不可能なことである
バプテスマは肉体の欲をすべて葬り、(ガラテヤ5:24)
生まれ変わった新しい者となって天に属するようにするものである(ヨハネ3:3~5)
人々をこの世に導いていった律法や預言者は終わった(マタイ11:13)
神は天に導く恵みの福音によってだけ私たちを召される
◎ イエスを信じる理由を悟りなさい
罪から自由を得て天で生きるというのがその理由である
イエスは血を流してその道を開かれた
◎ 欲や理性によってはイエスに従うことができない
ただ信仰によってその望みをもつことができる
イエスを信じることによって肉体の益を得ようとしないで、霊的になろう
◎ イエスは身に着けていたものをすべて脱いで与えられた
木につけられ、肉体をもって呪いを受けられた
しかし、よみがえって天に入って行かれた
※ イエスを信じるのはこの世でよく生きるためではない
バプテスマによってこの世を離れ、主と結びつく
よみがえられた主に従おう

2023. 04. 23. 主を驚かせたひとりの百人隊長の信仰(マタイの福音書8:5~13)

主を驚かせたひとりの百人隊長の信仰
(マタイの福音書8章5~13節)

神は
万有の主でおられる
その方が
万有を創造されたが、その方には不可能なことがない(へブル11:2~3)
ないものをあるもののように呼ぶ方が病気を癒される
それは神の愛である(出15:26)
その愛を受ける唯一の資格は信仰である
神に対して少しも疑いがあってはいけない(マルコ9:23)
この世でだまされてきたために、神にだまされると考え、(ヨハネ8:44)
神を疑うのであれば、それによって罪人となる(マタイ14:31)
肉体の規定を犯したとしても赦しを受けるが、(マタイ12:31)
神を疑う者は裁きを受ける(マタイ12:32~33)
疑う者の霊魂は肉体が死んだのちに底知れぬ所に行く
神は信仰をもたせるために御言葉を与えられた(ルカ1:37)
私たちの信仰は御言葉を信じて従うものである(創15:6)
御言葉を聞きながらも物足りなく感じて他のものを求めるのであれば、
神と何の関係もなくなる
霊魂は御言葉を必要とする(ヨハネ6:63)
御言葉だけが生かす霊であり、いのちである
主が求められるのは信仰である(ヨハネ11:25~26)
御言葉を完全に信じる信仰である
◎ 聖霊は信じる者にだけ入って行って、
その中で働かれる
御言葉によって力をもって働かれる
◎ 霊魂には目に見える人や手が必要なのではなく、
ただ御言葉、真理が必要である
御言葉には不可能なことがない
◎ 御言葉には癒しの力、創造の力がある
御言葉を求めなさい、そして、従いなさい
御言葉を疑わなければ、力が現れる
※ キリスト教は啓示の宗教、御言葉の信仰である
力がないというのは御言葉がないということである
霊魂に御言葉を満たしなさい、いっぱいに満たしなさい

2023. 04. 16. 霊的にきよくなることを要求するキリストの癒し (マタイの福音書8:1~4)

霊的にきよくなることを要求するキリストの癒し
(マタイの福音書8章1~4節)

神は
愛でおられる
その方が
この世を愛して、この世に
すべてを与えようとされた(ヨハネ3:16)
神は不自由なところや足りないところがない方でおられる(使17:24~27)
それゆえ、
その方が愛するひとり子をこの世に遣わされたというのはそれくらい
この世を愛されたということである(Ⅰヨハネ1:1~4)
その方はこの世にいる者が罪人であったとしても、恵みを施された
御子を惜しむことなく差し出された方が
何を惜しまれるであろうか
神はまことにすべてを与えようとされる(マタイ20:28)
神に「願われることは何でしょうか?」と尋ねるのであれば、
その方は「あなたがきよくなることである」といわれる(マタイ8:3)
らい病は肉体を汚した不幸な病気であるが、
神は霊魂を汚した不幸な罪が
きよくなることを願われる(ヨハネ6:53~55)
それゆえ、
神に求めることをためらってはいけない
神はイエスの中にいる人類に与える答えを準備された(マタイ6:8)
イエスはすべての願いの答えでおられる(ヨハネ14:13~14)
◎ 求めなさい、そうすれば、与えられる、捜しなさい、そうすれば、見つかる
神が与えようとされたものはすべて与えられた
◎ 乳飲み子が母親の乳を吸おうとするように、
私たちは霊と肉が求めるものを告白しなければならない
神は私たちが罪や病気から解放されることを願われる
◎ 神の救いの働きは神が願われることである
私たちは主を喜ばせるためにその方に出て行く
神の愛を受けるためにその方に出て行く
※ 私たちの信仰は修養を積むものではない
神が願われる通りにきよくなるものである
感謝をもってその恵みを受けなければならない

2023. 04. 09. 復活の初穂 (コリント人への手紙第一15:20~26)

復活の初穂
(コリント人への手紙第一15章20~26節)

聖徒の復活は
神の救いの働きを
完成させる、絶対不可欠な要素である
人間は神に対する犯罪と堕落によって
罪と死という強力で致命的な足かせに縛られている
これによって
未来に対する不幸な予感と暗やみの中で
恐れをもって生きている
しかし、キリストが墓の中から生き返り、
よみがえり、天の栄光に入って行かれた
それゆえ、復活は不可能なものではないし、
イエスが許された者にとって現実となる
イエスに属する聖徒は
肉体がこの地で死んだとしても、
キリストがこの世に再び来られるときに
その方とともに永遠な国で生きるために
肉体をもって復活するようになる
忠誠と愛をもって自分をまことにキリストにささげる、
教会と聖徒は
復活の初穂でおられる主に従って
最後の収穫の実となる
救いという神の計画に従って、
存在論的にはっきりと生き返り、
永遠な勝利にあずかり、
永遠な主の国をなすようになる